<僕等の時代の詩>



 

「生きることが幼い頃に空想して積み上げた大切な夢を、一日一日身を削るように忘却することだとしたら、今この瞬間にも僕達は大切に秘蔵していた宝物の数々を溝に投げ捨てているに違いないんだ・・・・・・。」

 

ふと意識の底に沈んだ記憶が、時が止まったように呼び醒まされる瞬間がある。見知らぬ土地の路地裏の佇まいが妙に懐かしく思えたり、若草の輝くばかりの香りに或る時代の情景が呼び起こされることもある。そして記憶の片隅に押し遣られた懐かしい匂いがある。幼い頃嗅いだものなのか、それとも母親の胎内での記憶なのか、前世での体験なのか、解らないのだが・・・・・、かつて僕はこんな生活をしていた・・・・、そう確信してしまう瞬間がある。「ああっ、こんな経験をかつて僕はしていたに違いないんだ。」その感情がどこから訪れるのか、そして、その経験は実在したものなのか、あるいは変幻自在に形を変える幻影に過ぎないものなのか・・・・・、僕には解らない。ただ、ただ、その確信を持つてしまう自分自身を否定することは出来ないのだ。その確信は絶対的なものだが、立証すべき手立てはどこにも存在しない・・・・・・・ただ、そこに<在る>としか言えない。


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僕の記憶の片隅にこんな情景がある。それは田舎町の路地裏にある薄汚れたキャバレ-でのちっぽけな出来事だ。そして僕の記憶に刻まれた個人的な子守り歌にすぎない淡い思い出だ。

三流広告代理店に勤める僕は、広告代金を受け取る為にこの店に来たのだった。開店前の店の奥から、感情の波間を彷徨うピアノの旋律が小道に洩れてくる。
金払いの悪いママを思い、倦怠を覚えながら僕は店の扉に手をかけた。

赤いセロハン紙で囲われた洋燈の光が目に飛び込み、鋭く痛い。穴倉のように暗い店内に、机が整然と並んでいる。そんな店のステージで、一人の長髪の男が楽譜に目を走らせ、華奢な指をピアノの鍵盤の上を這わせている。

単調なリズムから徐徐に感情は篭められ、男の目はモノに憑かれた獲物を狙うハンターの真剣さに変わっていく。フォルテが打ち下ろされる度に鍵盤は激しく叫喚する。男は体全体をピアノにぶつける様に感情移入し、能力の限りを駆使しながら音を紡ぎ出す。髪を振り乱し、汗を飛び散らせ、縦横無尽に鍵盤を走る指は感情の起伏を放射する機関銃だ。

悲哀、憐憫、怨嗟、歓喜が交錯し、あばれ廻る音は部屋の中を飛び惑い僕に陶酔を齎す。店の片隅の椅子に腰掛けた僕は、荒荒しき大海を曳航される小船のようだ。音の波に縲絏されて身動き出来ない。その時僕は完全に男の世界に繰り込まれていたのだ。

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いつの間にやら陽炎のように僕の周囲のテーブルで大勢の男女が淫らな格好で絡み合う饗宴が始っていた。机の上のティッシュペーパーの白い色が蝶の様に部屋を乱舞する。性に飢えた野獣達が、ピアノに合わせて踊り出す。生活に追われ痩せ細った女の歓喜の啜り泣きが低く響き渡ってくる。鶴嘴を打ち下ろす太陽に焼けた逞しく、そして淋しげな肉体が、裕福そうな医者が、実直そうな教師が、うだつの上がらないサラリーマンが、遊び人風の学生が、脂ぎった中小企業の社長が、人生を棄てたはずの乞食が、走馬灯のように現れ、乱舞し、そしてシャボンの様に弾けて消えた。今男は誰の為にではなく、人に聞かせる為にでもなく、自分の為だけに歌っている。自分の歌を歌っている。この瞬間、部屋は男の為にのみ存在する。

「が-----ん!!」

力強く左手を鍵盤を壊す様に打ち下ろすと、男は放心したように項垂れた。
一瞬男は彫刻の様な端整な横顔で動かなかった。そして、左手を鍵盤から離すと大きく息を吐き出した。妙にもの悲しい気がした。その時、消え行く音の余韻の中でジャスミンの甘い香りが漂った・・・・・・・。

男は間をおいて僕の存在に気がつくと、照れくさそうに笑みを浮かべた。その長髪に隠れた素顔には、歳月の重さが深い皺となって刻まれていた。楽譜に赤鉛筆で何かを書き込むと、立ち上がり、僕にコーラを運んできた。

 

「来てらしたんですか?まだママ見えてないのよ。」妙に女性口調で話し掛けてくる。僕が来意を告げると男は僕が製作した前回の広告の反響が良かったと、長い睫毛を伏せながら、東北弁訛りでお世辞を言う。優しそうな澄んだ瞳の奥に疲れが感じられた。

 


店を後にした時、僕は口の中で呪文のように同じフレ?ズを反芻していた。体中が火照って思わず走り出していた。

 

「たった一人で夢を歌い続ける男が、こんなちっぽけな薄汚れたキャバレーの中にもいた。夢にしがみつきながら、見果てぬ夢を追い続けながら、底無しの泥沼でもがいている純粋な男が、ああっ、こんなちっぽけな薄汚れた雑踏の中にもいた・・・・・・・・・・・」




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●都市--そしてイメージの海●



都市は消化不能な膨大な情報で覆われている。
毎日夥しい数の情報が吐き出され、消費され、ゴミとなって都市に散乱して行く。
我々は、あたかもイメージの海を漂流している小船のようだ。
そして、常に新鮮なイメージを掴み取ろうともがいている。

イメージとは情報の衣装の故だ。
情報にどのような衣を着せることが、今一番時代性を象徴しているのか?
誰もが、それを求めて都市を彷徨っている。
但し、その情報が有効性を持つ時間は益々短くなってきている。
命を失った情報は、地底に堆積したヘドロのように、我々の足に絡み付いている。
都市は、情報の屍で今にも窒息しそうな位、呼吸困難に陥っているのだ。
なのに、我々は新しい衣を欲している。

イメージは、常に新鮮な驚きを人々に与えることを義務つけられている。
実際にヘドロの堆積がどれ位海を覆っているのか?
尻に火が付いた様にイメージを捜し求める狩猟者には、現実は何も見えていないのだ。

水位は上がっていても、海上に現れた氷山のように、それが全てではない。
実は、本当に新しいものとは、常に人間の深層意識の海の底に沈んでいる。
●僕は、イメージの広がりを感じられなくなると、渋谷、原宿、表参道、青山を歩き回る。
そこでは、実験的な試行錯誤が常に行われているからだ。

いつの時代でもそうなのだろうが・・・・
世の中には、優れた芸術家が存在する。
時には、そのイメージの斬新さに目を奪われ、心を動かされることもある。
彼らは一体、何処からイメージを汲み取っているのだろうか?
僕は、それを考える。

思うに、
彼らにイメージの広がりを与えるもの・・・・

それもまた、広大な海のなせる技なのかもしれないのだ。
●僕は以前から、109のデザイナーは優秀だと考えている。
時代の感性を巧みに嗅ぎ取っているからだ。
これは地下鉄の駅の電飾看板なのだが、色彩の使い方、構図、イメージの表現力。
どれを取っても一流だと僕は思うのだ。

ところで、
最近の僕は表参道の高級ブランドが建ち並ぶ一角がお気に入りだ。
昨日も久し振りに時間ができたので、のんびりと散策してみたのだ。
外人の旅行者が多かった。
今では、外国よりも外国っぽい街。
あの一角は、そんなイメージがあるよね。(苦笑)







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