[幻視の漂泊]


一人の女を愛するように思想家に惚れこむ時期がある。どこまでもその思想家を知り
たいと思い、どこまでもその思想家に近づこうとする。自分だけのものにしたいとい
う所有欲が起こり、回りが見えなくなる。「麻疹のようなものさ」そう言ってしまえ
ば簡単だが、断定出来ない部分に本当の愛が存在する・・・・・・。
それは水に映る自らの姿に恋し、水死して水仙になった美少年のような愛なのかもし
れない。
自らを犠牲に出来るだけの愛ならすばらしいのだが、憧れは決定的にそれとは違うも
のなのである。
 夜空の星を数えるのも、潮騒のメロディに耳を澄ませるのも、一人の部屋で思い出

浸るのもいい、しかし青い影は地平線の彼方まで続いているのだろうか・・・・・。

 人生を割り切れぬその部分で、人は青春の影をひきずってゆく。やがてそれも乾涸
びた木乃伊に変わるだろう。何故かって?・・・・だって君は硝子のようじゃない
か。


1,平等---一体性から乖離した同一の意味を手に入れるただそれだけの為に、人は
宿命の名の下に夢を殺してこの世に存在する。しかも生きているのではなく、生かさ
れていることを認識することさえ出来ずに自動人形として存在する。

2、我々の潜在意識---つまり強力な権威に従属することを欲するマゾヒズム的傾向----
これによって剥奪された意識は多数者の意識の連帯の濾過作用を通過することによっ
て、現存する権威を正当化し絶対的な存在として許容してしまう。そしてこれこそが
ヒエラルキ-の骨格なのだ。

3、世界と一体化する為の手段は、服従か又は支配かの二つの道を君に与えた。
全体の極小部分に成り下がることで既存の権威に隷属するか、それとも世界を支配する権
力をもってやるか。
もし君が後者を選択するのなら、孤独と真っ向から対峙し個別化の極限において個を超えるのでなければならぬ。
そして、永遠の人間を知るのでなければダメだ。
君が生命を賭けた孤独との闘いの後に狂人と呼ばれるか、神と呼ばれるかは俺は知らない。
でもその前にきっと君は彼岸を求めるだろう。

4、レ-ニンの言うように、我々は歴史という巨大な川を塞ぐことは出来ない。
しかし民衆から音楽が消え去った時、それを歴史的必然という言葉で片付けるのか。
条件反射という言葉がある。
犬は決まった時間に食事を与えていると、その時間が来ると吠えるんだ。
繰り返しが日常をつくり、人間をロボットに変える。
寝て、食って、働いて、又寝る。ただその連続の中でちっぽけな幸福を捜すか。
「あっ、目覚まし時計が鳴った。そろそろ会社へ行く時間だ。」しかし見事に飼い慣
らされたもんだ。

5、「軋轢を起こしてはいけない。社会機構に調和し適応することが良いことなのだ。
他人と協調してうまくやっていく為には個性はない状態の方がよい。その方が自
由で独立していると感じられる筈だ。
個性的であることは今の世の中では、君、一種の犯罪なのだよ。戒めなければいけない。
早く君もこの軍服を着用しなさい。君は国家の忠実なるロボットなのだよ。
どうした、私の命令がきけないのか。
自動人形が意志を持った時は、抹殺するしかあるまい。
(官吏を呼ぶ)[こいつを破壊しろ!」

6、フロムは語る。「社会が個性を恐れているのは,沈黙させておきたい精神や心理
が個性の中で発言の手段を見出すからである。」
複雑化した社会は、徐々に組織化され官僚化されていく。
学問の細分化が知識の体系化を拒むように、複雑化した社会の中で各人は自らの役割
を見失い、国家の忠実なる下僕として働かされていながら自らの幸福の為に働いてい
ると信じているのだ。
その主体的意志の喪失者の多数決によって国家の管理者が決定し、人々はそれに従属
する。
しかしこの社会は何と悲劇的なのだ。いや、それとも喜劇的なのか。

7「現代は何故狂気の社会になってしまったのか?」
「人々が事物化したことが根本的要因である。」
「何故人々は事物化の過程で自らを再発見しようとしなかったのか。」
「それは教育が、自主的な行動及び個性の助長を拒む画一化をもたらしたことによ
る。」
「人々は知らず知らずのうちに自動人形になり、それを認識していないのか?」
「全ての人がそうだというのではない。しかし何故生きるかの意味は薄れ、何の為に
生きるかの意味だけが問われている。」
「では正気の社会とは?」
「フロムの言葉を借りれば、まず誰も他人の目的の為の手段とならず、常にしかも例外
なしに自分自身が目的であるような社会である。」
「今こそ生きる意味を問う時なのだな。」
「そうだ。サルトルはヘ-ゲルの対自という概念を応用し、対自的に生きることが真の意味
において生きることだ、と語っている。黒澤明の{生きる}の中でも同じ問題が扱わ
れている。」
「ひょっとすると我々は生きているつもりでいながら、実は死んでいるのかもしれぬ。」
「キルケゴ-ルの<死に至る病>の問題でもあるが、精神における死こそが一番危険なも
のではないだろうか。
俺は意志は肉体のア・プリオリな存在であり、肉体は意志のア・ポステリオリな存在であるという
テ-ゼを大切にしたい。そう信じている。」

8、憎悪が残酷を生み死をもたらす。残酷な死を労わることから浄化と修正が施さ
れ、さらに聖化され理想像となり崇敬を勝ち得る。貧しき土地と残虐さから一時的に
逃避する手段として夢を見、その夢が製作者の手により統一された時、はりつけにさ
れた革命家は神に変わる。それは貧しき民衆の選民意識を内包した夢の象徴である。
しかしその夢は現実の中で-------行動する。

9、神を作り出すのは人間である。人格的な天才崇拝が起こる為には偉大な芸術家が
存在しなければならない。パウロがキリストを創造した如く、我々も現代の神を創造するの
だ。社会が複雑化した分だけ、人々の興味が拡散した。その結果、潜在的な民衆の夢
を統一し行動させる為には、民衆をもっともっと深く絶望させる必要が生じた。
そして生命の不安を与えなくてはならぬ。
その上で偉大な生け贄を用意せねばならぬ。

だが夢はまだ嫉妬深く独占欲の強い女の胸の中で眠っている。

10、自らの憧憬を天才の中で浄化させ、自らを等身以上に拡大させ喜ぶ夢追い人達
よ。神秘的な人物に自らを装ってみろ。時代精神をいち早く嗅ぎ付け、それに形を与
えてしまうのだ。
言葉という武器、音楽という武器、美術という武器、どれでも良い。簡潔で冴えた表
現で民衆を突き刺すのだ。思想家ではなく芸術家であれ。すべてを語るな、啓示すれ
ばよい。そして謎は多いほうが良いのだ。多ければ多いほど、宣伝が君の偉大さを等
身以上に拡大し拡散してくれる。
まず激しく行動しろ。状況を作り上げ作為的な死をもて。死後、君は永久にこの世で
生きるのだ。

ただ民衆という言葉をわすれては駄目だ。

11、ランゲ・アイヒバウムの言葉を引用する。
「この上ない美しい夢を見られる人、厳密に悟性に頼って創作しない人、夢想的思考
力を持っている人、目覚めつつ憧憬の夢を見ることの出来る人、心の諸力を縦横に駆
使してこの世ならぬ象徴的な構図を描ける人-----この人々は、はなばなしき夢に飢
えている人間達の中にあって天才となりやすい。」
「資質の高さについて下される判断は、しばしば利用価値の函数である。」
「天才は別に絶対的なものではなく、客観的=自然科学的なものともいえない。むし
ろそれは絶えず形をあらためる函数であり、存在ではなく、活動であり、生成である。」

12、憂愁と倦怠に沈潜することは原体験への遡及を導くであろう。
これこそメルヘン的世界への回帰であり、現代人の意識変革の必要条件である。

13、激しきリズムと暴力、そしてエロス。それらを統一する思想的バックボ-ン。中性化した
現代人が求める者は、男であって女、女であって男のような人物。そうした人物が
バッカスに導かれて無意識で創造するのでなければならぬ。
そして彼は、民衆を心底人生という酒に酔わせる催眠術師でなければならぬ。

14、この世で適わぬ夢程、劇的なものはない。
人は自らの観念の中の現実を愛しているに過ぎない。実現された時に醜悪さは露呈す
るものだ。

15、バ-トは人間の手を排除し、メカニックによって管理される。「なんだ、この社会はま
さにバ-ト的_だ!」とでも叫ぼうか。

16、劇場は擬似殺人を血に飢えた観衆に与え、戦争は民衆を現実の殺人者として演出
し正当化する。

17、ヒトラ-が、「もしユダヤ人が存在しなければ、我々はユダヤ人を発明しなければならな
い。
目に見えない敵だけでなく、目に見える敵が必要なのだ。」
と語ったとき、かれは心底国民を愛していたのだ。
それゆえ、彼等の精神をも征服出来たのである。

18、何と言う詭弁、人は決して一人では生きられない。他者との関係の中で自己を規
定できるのだ、なんて。

19忠告(1)精神を鍛えろ!自己の内部に自己超越的他者を創造し、それとのダイアロ-
グの中で鍛えろ。
それは常にボ-ルを返してくれる壁だ。

20、忠告(2)人の女を奪え!人の男を奪え!そして愛情を捧げよ。独占こそが諸悪
の根源なのだ。しがみ付かないことだ。例え君がそうされたとしても。
だって、今は平等の時代だったろう。

21、忠告(3)タブ-視された言葉を現実の中で飼いならせ!鎖に繋がれた言葉が自由
を求めて泣いている。

22、一つの季節の終わりには、血を失い化石に変質した言葉の氾濫がある。それらは
歳月の中でやがて風化するだろう。本来、言葉なんてそんなものだ。



 電車の中で君はウトウトした。しかし、長い時間の経過を意識したにもかかわらず数分
の時間の流れがそこにあったにすぎない。
疲れている・・・・・だから悪い夢に魘される。悪夢から覚めると再び過酷な現実が
笑う。
川の流れに逆らうから疲労する。腐った動物達の屍骸で悪臭を発している川に身を任
せてしまえよ。
流されるんだよ、何もかも忘れて。
それとも砂漠の中で闘うというのか------。

最近、私は実に泳ぎがうまくなつた。

(以下、略)




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