●青春の光と影と・・・・
(The brightness of the youth and pain.)
■遅れてきた自画像■
■夜の闇の中で自らの栄光を夢想する女■
■日常はつまらない演劇だという奇妙な逆説■
■自己の存在証明は定着された画像の中のみで可能だ■
■そもそも意味とは何なのか?■

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青春・・・・

それは、

無限の可能性を秘めた年代

物事の善悪を素直に直視できる年代

夢を食べて生きられる年代

失敗を畏れぬ年代

疲れを知らない年代

我侭が許される年代

感性が研ぎ澄まされた年代

そして、

何よりも、

社会の矛盾と直面する年代・・・・


青春を語る時、唯一許される言葉があるとせば、

それは、

---未知数---。

その言葉に尽きるだろう・・・・

未知数は、あくまでも可能性であり、実数にはなり得ない。

金の卵も落とせば割れるし、時期を誤れば腐らせてしまう・・・・


もし人の価値を推し量るとすれば、それは満開に咲いた花々を愛でるように、

単純に目に見えるものではないだろう。

深く深く地中に潜行し、無限に根を張巡らす季節。

大輪の花を咲かせる為には、そうした時期が必要だろう・・・・

言うなれば、それこそが青春と呼ぶべきではないのか?



さて、


人は、人生の最後に一体何を残すのか?

いや、

何を・・・・・残せるのか?

金? 地位? 名誉? 名声? 遺伝子? 愛? 満足感? 悟り? 矛盾? 怒り? 友人? 孤独感・・・・?


それは、夫々の人によって違うだろう・・・・

夫々の価値観によっても変ってこよう・・・・

ただひとつ言える事は、

人生は、長いようで短く、短いようで実は劇的だ。

刻まれた年輪は、顔の皺を数えるように表層化されるものとは限らない。

どんな優れた芸樹家も、常に名作が創れる訳ではない。

同様に、能無しが制作しても、時として驚くような傑作が生まれることもある。

金の卵から生まれるものは、金の白鳥とは限らないのだ。

涙の峠を乗り越えた時、其の先に待つものが、平穏無事の地平とは限らないのだ。

人生に於いては、空白のキャンバスを埋める様に、魔法を使う事は許されない。



だからこそ、

人生は難しい。

それ故に、

青年は、思い煩う・・・・・

自らの可能性と運の強さに。

そして、何よりも

食べきれぬ無限の可能性の中で、

見果てぬ夢を見ながら、

木漏れ日を浴びて、


マドロンデイル・・・・・

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