『赤い花』編集後記


「理性は、我々に余りにも狭い境界を設定している」
 
      -----C・G・ユング-------


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ここに収録した作品(テキスト)は、秘密文字を解読するような奥深い謎に充ちている。氏は超感覚的世界を拠点に現代を洞察し、無時間性の領域の中で特異な宇宙世界を構築しているが、これらの作品(テキスト)の特異性は、自己の深部に微睡み(まどろみ)、徐徐に精神を蝕む狂気(個人的幻想)を、絶対の孤独の中で、幻覚及び妄想により増幅深化された心象風景=超感覚的知覚として描き出しているところにある。

作風は既成の倫理概念を払拭し、怖気立つ程の戦慄を帯びているが、陰湿ではなく、清冽な素朴さと夢幻的詩情を湛え、文学的粒子を放射している。ここに日野日出志という作家の非凡さがある。
ひとたび氏の世界に足を踏み込んだ者は、作品の超現実的世界に幻惑され、魂の深奥に隠れた原始的本能=本源的潜在意識が、恰も鬱積した得体の知れぬ分泌物が横溢するかのように覚醒されるのを体験するだろう。
この恍惚陶酔(カタルシス)を、僕は<プシュケ−体験>と名付けたい。

作品(テキスト)を根底で支えているのは、明晰な悟性、類稀なる先天的資質、透徹した文章構成力、卓越した緻密な技術、間断なき知識の修練にあることはいうまでもない。
また氏は、精神衰弱、偏執狂、パラフレニ-、精神分裂病といった病像や、突然変異体【ミュ-タント】として日常性の規範から断絶された人物を好んで描き出しているのだが、それが尚一層読者の不安と苦悩を増幅させる効果を上げる触媒となっている。
これらは何を示唆しているのだろうか。

現代社会は貨幣万能主義が蔓延した虚無と虚飾の機械的社会----集団的神経症を蒙った狂気の坩堝であると提起しているようでもあり,社会から切断され、引き裂かれ去勢された弱者である彼等に異次元の審美眼で以って愛情を捧げているようにも思える。
或いは氏には、抜き差しならぬ分裂症的世界を破壊せんとする不可逆的欲望があるのかもしれない。

ともあれ、氏の作品(テキスト)は既に劇画の範疇から逸脱しており、この表象表現に秘められたる意味----高次の謎-----形而上学的な深淵は、時間の推移と共に深まるばかりなのである。

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僕がこれを書いたのが、昭和62年です。
あの頃から青年層の犯罪が続発しております。
その兆候を感じていたんですね。きっと。
ですから、日野先生に出版を御願いしたのですから。

僕達は本気で<今>について考えなくてはなりません。
そうしませんと、日本は駄目になってしまいます。
時間はそれほどあるわけではありません。


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僕等の時代の詩
 パート2

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こんな情景(シ−ン)が僕の記憶に残っている。逃げ出すものが多すぎて僕の落ち着く場所が見つからなかったあの時代【20代半ば】、休息の地南国のとあるレストランで。

BGMにはアップテンポの曲が軽快に流れていた。窓の外ではタクシ−の運転手達が、客待ちしながら照りつける太陽を避け、日陰で輪になりダベっている。その遠景には、この国の名高い英雄の名のついた記念公園が陽炎となって揺れている。
僕は『マ-ルボロ』に火を点すと、深く吸い込み、天井の巨大なプロペラのような、のんびりと回転している扇風機(?)に向かってゆっくりと煙を吐き出す。
隣のプ−ルでは子供達が、水を掛け合い跳びまわっている。
片隅の席では、若いカップルが映画のワン、シ-ンのように真剣な表情で静かに向かい合い、囁き合っている.
小声で語り合う、落ち着いた物腰の老夫婦もいる。
すべてが長閑で平和だ。
顔馴染みのメイドはふくよかなムチッとした腰を左右に振りながらジョッキ片手に近づいてくる。
「PLEASE DEAREST SWEATHEART」
彼女はこれが口癖だった。
僕は冷えたジョッキを受け取ると、喉を鳴らしながら一気に飲み干す。
全身に琥珀色の液体が、血液の流れに沿ってしみわたっていく。
満足気に息を大きく吐き出す僕を見て、彼女は無邪気に笑う。
その時だった。
彼女が興奮したように小さな叫び声を上げた。
「レ・イ・ディ」------と。

僕がK・ロジャ−スの「LADY」を聞いたのは、これが初めてだった。この曲の第一印象は強烈で新鮮な驚きだった。
この時僕の脳裏には、南国の澄み切った海辺の光景が波のように押し寄せ、融け込むようにその歌に侵食されていった。

まさに情況に曲が一致した、きわどい瞬間だった。

〜Lady、you have made me what i am〜

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あの頃何度も訪れていたあの場所も、ある出来事が原因で足が遠のいて既に20年近い歳月が流れた。
全ては、遠い過去の記憶に過ぎない。
でもこの歌を聴くと、あの頃の情景が鮮明に思い出されてくる。





Angel's mutter パート2
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