「芸術作品とは、精神につきまとって離れぬもろもろの幻想を実体化し、そしてその幻想を外部世界へ投げ返すものなのだ。」
               ミッシェル・カルージュ「カフカ対カフカ」より



●萌える秋
at 2003 10/23 06:07 編集






もみじ、いちょう、けやき、かえでが色付き、落葉が始まる季節。
路肩には、淡紅、白、ひょろひょろと背の高いコスモスの花が咲き乱れている。
集中工事が始まった高速道路の橋げたでは、そこに巣を構えた蝙蝠の鳴き声が、ワイヤーを捻ったような甲高い響きを発している。


●深夜11時過ぎ、人気の無い公園で鳴り響く鋭い音。
近づくと塾帰りの中学生が、エアーガンで缶を打ち抜いて、その威力を誇示しあっている。
醒めた目で、缶を打ち抜く彼らの顔には厚い眼鏡がかけられている。

●公園の死角に当たる「ホタル園」の前の光りを遮るベンチでセックスに励む高校生。
茶髪の女高生は、厚い化粧を施し恥じらいもなく大人の女の目で私を睨み返し、男は女の陰に埋もれるように私から姿を隠そうとした。

●深夜の公園を徘徊し、ブランコを支柱の軸の反対方向に360度回転させ、誰も乗ることが出来なくして、何事も無かったように去っ
て行く長髪の痩せたフリーター。
ブランコを反転させる時の金属を天上から地上へ叩きつけるような軋んだ湿った音が、深夜の街に響き渡る。

●深夜12時過ぎに照明を消して路上に停車している改造車。
数分後に対向車線からエンジンの爆音を響かせた改造車が現れる。
鼻先を数10センチまで車体を対向させた状態で停車させ、車から一人がおもむろに停車していた一台に近づき、何事かを話し合うと、
去って行く。
そして、停車していた車のヘッドライトが灯り、やはり爆音を響かせて何処へと走り去って行く。

●路上で深夜ひとりでスケボーの練習をしている大学生。
足を組替える時の、アスファルトにスケボーが叩きつけられる乾いた音が、山彦のように団地の夜の静寂を破壊する。

●深夜、公園の壁を相手にサッカーボールを蹴りつけている青年。
憎しみの気持ちを壁に打ち付けるように、一心不乱にボールを蹴りつけている。

●深夜、真っ黒い体の大型犬を放し飼いにして調教している20代の女性。
大型犬は、君の命令通り動けるように成長したのかい?

●日の出前のまだ暗い公園で、捨て猫達に餌を与えている老婆。
捨て猫が増えて困るという住民苦情にも拘わらず、彼女は猫達に餌を与えている。
黒と白と三毛の数匹の猫達が、老婆の用意した缶に盛られたキャットフーズを美味しそうに平らげている。それを見守る老婆。
新聞配達のバイクの照明が、遠くを線を描いた様に流れて行く。

ミッシング・リング
それを捜し求めて都会の闇の中で蠢く人々の影
近代社会は速度の時代、疾走する時代だ。
しかし、
その速度に反比例するように、失われた夜の中で己を捜し求めてもがいている顔の見えない人々の影が存在する。
彼らは、速度の呪縛から自らを解放しようとして、速度を失った深夜の静寂を友としているのかもしれない。
深夜の漏斗の中では波がざわめき、迷宮の中で座礁した小船のように忘却の彼方に沈んだ記憶の数々が徘徊する。
都会という深海の底に横たわるミッシング・リングを捜し求めて、そして人々は袋小路に迷い込んでしまったのかもしれない。

都会の闇の世界に囚われたる人々よ、
10月の夜は、もうすぐ終わる。



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■萌える秋
☆深夜の公園☆
at 2003 09/04 05:47 編集
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昨夜は、アルバイトで15時間夜勤作業に従事してきました。
しかも深夜の公園の見回りです。
一晩で50数箇所の公園を2回周って歩くのです。
最近は、犯罪も増えておりますので、24時間体制で不審者の動きを監視しているのです。

深夜の公園というと、みなさんはどんな印象をもつでしょうか?
多分、人気の無い寂しい場所を想像されることと思います。
確かにその通りなのですが、そうでない場所もあるのです。
時間帯によって人の動きがまるで違うのです。
今日は、その辺りの話をしてみようと思います。
勤務は夕方6時に始まり、朝の8時半までなのですが、6時過ぎの公園にはまだ沢山の人がおります。
若者を筆頭に、子どもを遊ばせる若奥さん、犬を散歩させる人、涼みにきているご老人・・・
千差万別。日常の延長がそこには存在します。
7時過ぎ辺りから、家路へ帰る人が増え、公園もひっそりとしてきます。

夜中の9時辺りからが、仕事の本番になります。
この時間になっても木々では蝉が鳴き、高速道路の橋げたでは蝙蝠が喚き、草むらではコオロギや夏虫が合唱し、捨て猫らしい集団がゴ
ロつき、若者が数人でとぐろを巻き、ホームレスが目をぎらつかせ睨みつけます。
10時を過ぎた辺りからアベックが夜這いを楽しむ時間帯がやってきます。それだけではない。
12時過ぎの公園で、ひとりでボールを蹴っている若者、
なんと丑三つ時にたった一人で、大型犬を散歩させる若い綺麗な女性までいました。

深夜の公園は、2時過ぎまで人間臭い不可思議な人たちで賑わっておりました。

そうそう、深夜の森の中は、怖いですよ〜♪
公園に足を踏み入れると、虫達の鳴き声が一斉に鳴き止みます。
コオロギたちは、僕の足音に用心して、息を押し殺しているようでした。
「ばっしゃん!」
川の中では突然鯉が撥ねます。
そして、僕の照らした照明に蝉や、黄金虫や、30センチ位の体形の純白の蛾が集まってくる
のですが、その色鮮やかなこと・・・・
うっとりと見とれてしまいますよ。
何というか、これは、幻想の世界に飛び込んだような印象がありますよ。
蛾は体が重いのでしょうね。
ゆったりゆったり羽を広げて、僕に向かってくるのですよ。羽にグリーンの刺青が付
いている奴なんですよ。言葉に出来ないくらいグロテスクですよ。
映画のモスラのような体をしていました。

僕が公園に入ると数匹の猫が「ぱっ!」と散ります。
ところが、茂みの暗闇の中では、猫達の目がギランギラン輝いております。どうやら僕の行動を見張っ
ている様子でした。
それにしても、夜の公園は猫が多い!
本当に、不思議な世界です。^^;
誰もいないと思って安心していると、奥のベンチで動く姿がある。
そうした時は、びっくりします。
こちらが及び腰では却って危険ですから、
「こんばんわ。どうされました?」
そのように声を掛けると、大抵立ち去っていきます。
それから、祠がある池があるのですが、深夜の池の周囲は虫の鳴き声以外、なんの気配もなく、怖いものですよ。鬱蒼とした深い闇の世
界ですからね。
僕が銅像に照明を当てた時、「ふっ!」
空に舞っていった白い陰は、あれは一体何だったのだろう?

3時を過ぎた辺りから、街にすこしずつ色がついてくるのです。
ゴミ収集の車や、新聞配達のバイクが走り出しますから。
この時間帯が、一番ほっとします。
そして、朝の5時近くになると公園のベンチで毛布を被って寝ているホームレスが現れ出します。
多分、深夜は食べ物の調達等で出かけているのでしょうね。
まだ20代の若い人もおりました。
そして、ご老人達が集まってまいります。
犬を散歩させる人々。
公園で、拾ってきた雑誌を整理する人・・・
また日常が始まる気配が街に溢れてくるのです。




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●霊の世界と彼岸
at 2003 09/24 19:47 編集




命というものは、本当に不思議なものですね。
命が抜けたものは、全てただの物質でしかないのですね。

僕は霊感が人より優れているのかもしれません。
霊らしきものに、よく遭遇するのです。
先日も、木々に囲まれた池を巡回していた時に、若い女性が一人で奥へ向かって歩いてゆくのが見えました。そこには、祠があって、縄
文時代中期の集落跡なのです。
女性の向かった先は行き止まりですし、変だなぁ、と感じた僕は後を追ってみました。
しかし、行き止まりの場所には、女性の姿はありませんでした。
忽然とどこかへ消えていたのです。

僕は、心の中で「や・は・り・・・」
そう呟いておりました。
なぜなら、そこは若い女性が一人で入り込む場所ではなかったからです。

この場所は、以前、深夜に巡回した時にも、僕は妖気のようなものを感じた所でした。
池には、50センチ級の鯉や、亀がうじゃうじゃしています。
その池の周囲をこんもりと、木々が覆っているのです。
あの女性は、何の為にあの場所に現れたのでしょうか・・・
きっと何かを訴えたかったに、違いないのです。

みなさんは、信じるかどうかは、分りませんが・・・

霊というものは、存在するんですよ。
僕は、宗教には全く関係のない人間なのですが・・・
霊というものは、存在する。
その事は、言い切っても良いのではないか、
そう思うんです。

僕は霊とは、心だと思っております。
人間は
死しても心は死なない。
人の心とは、それ位、大切なものなのですね。

僕はそう考えております。
考えてみれば、今は彼岸の真っ盛りだったのですね・・・













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