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<創世記>


●地球の周囲を取り巻く宇宙という無限に広がる存在は、無数の迷路を有する未だ解明し得ぬ<神秘の坩堝>である。
生成変化し続ける宇宙は、時間と共に膨張拡大し、百億年以前に起こった無数の星星の生成と消滅の歴史を刻み込んだ、エネルギーに満ち溢れた----ある存在---である。
その広大さに比してみれば、地球は原子という比喩でしか表現出来ない微小なる存在に過ぎない。
40数億年前、地球創世が変幻自在に変化し続ける混沌とした宇宙の一隅で発生した。
そしてその地球上で、水素、酸素、窒素、その他の気体の混合物である大気の下に、20億年以上の太古、「太陽エネルギー」の化学的変化によって偶発的に、生命は海で誕生したのだ。

宇宙はそれら生命の<進化の神秘>をも刻み込んだ巨大な<記憶の貯蔵庫>でもある。生命の進化が連綿と続く<時空>の中では、現存する全ての形態も、生成発展し続ける過程段階の一過性のものに過ぎない。であるからして、今日に至るまでの我々人間の歴史も、宇宙全体からの視点により眺めれば、<無>に等しいということが出来る。
しかしいっぺんに多くを産みすぐに死んでしまう命のカゲロウの視点から人間を照射すれば、人間は無限の生命を有する<神秘的存在>に映ずることだろう。これらは、全ての事象は主体における視点の位置によって客観視される事を表わしている。

言ってみれば、それらの尺度は単に<事物の相対化>に過ぎない。
所詮全ての存在は宇宙全体の構成単位に過ぎず、事物の相対化により解釈されるものであるから、我々は直立歩行し火を使い言葉を使用し思考するからと言って、なんら誇るべきことではないのだ。
かといって全て存在するものは<無>であると言いきることも何とも抹香臭い。

単純に宇宙も我々と同じ様に<生き物>なんだよと言い切ってしまえば、逆に人間も各々が<小宇宙>なんだよという具合に、「宇宙という万有函数の変数」である人間の存在が浮き彫りにされる。


●古代夜の闇が支配する世界で人々は、風の音に雨の音に雷鳴に動物の鳴き声に地震に台風に、そして不定期の自らの死への不安と死者の訪れに対して、名状し難い恐怖感を惹起したことだろう。
人間は死すべき存在であるという宿命の想念は、死が人々と共有してきた時間の連鎖を瞬時に切断し、人間を没個性化、無機物化し、生活の累積を無化するものとして認識されたに違いない。
その結果人間のもろさ、はかなさを学習し、未経験の不可知的世界に対する本能的畏れが発生したものと考えられる。

生活機能を喪失した肉体はやがて腐食し、原型を失する。この生の停止に対する空虚感は、人々の不安を拡大増加させながら、日常の生活を覆ったに違いない。
そこで人々は死に対峙した時の自己の無力感並びに本能的不安を解消する手段として、超自然的実体としての<霊>の存在を考えたのだ。虚無的世界に対し永遠の生=霊を考えたことは、死が永遠の生の停止であるという考え方に対する偉大なる認識の改変であった。

これはやがて自己の生は本来永遠不滅であるという霊魂不滅の概念へと発展し、実際に死者と相見えた人間が何人も出現することで、この考えは深化,正当化、一般化されていったと考えられる。


●また宇宙の中で自己が微小なる存在に過ぎないという虚無感は、死に対する不安同様人々の不安を拡大深化させた。不安が誘発する無秩序と混乱を調整、合理化する為に、人々は<個人の意識並びに深層無意識の複合による幻想と集団の集合的無意識>=<集団的白昼夢>を媒介にし、原始的種族の最初の象徴的統制システムであるト?テミズムの概念を確立したと考えられる。
当然この原理の根源には、宇宙の神秘に対する畏れ、不安、恐怖、尊敬といった感情があり、その上個人の生活と密接な関連を持つ地・火・水・風・空に霊的本質を認めた宇宙との一体化の複合概念であった。【(注)デュルケームはトーテミズムを最も原始的な宗教だと考える。】

徐徐にこれは洗練合理化され「禁制」を含む統治形態(道徳、法、芸術、科学、政治形態、etc.)を形成するまで発展する。この統治の中心となる観念は超自然的恐怖から人々を救済する主体としてに<神の存在>である。神秘に満ち溢れた広大無辺なる宇宙は想像力によりトーテミズムと同様の方法で<神>として創造され、それは補填、修正されながら、やがて人間精神の究極の真実の象徴<絶対的真理>として完成される。ここにおいて初めて宇宙は<神>としての人格を付与されるのである。
この理解不能且つ不可視なる存在が実相を与えられることで、宇宙は人々に理解可能な身近で親しみ易いものとして認識され、<神話>に発展、伝承、伝播されていくのだ。
その神の本質とは、言い換えれば<人格を付与された宇宙全体の現象形態の象徴化>に他ならなかった。
茫漠たる宇宙の中で、無に等しい自らの存在を痛いほど実感していた彼等は素直に自らの支配者として<神秘なる宇宙>に<神>として敬意を示したのだ。
この時、宇宙と人間は初めて一体化したのだ。人間の模倣としての神、つまり宇宙が人間的形態を付与され人々に身近なものになったのである。

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「冥府」ー日本の起源論



●青森の三内丸山遺跡からも解るとおり東北は縄文文化の繁栄の地であり、日本人の遺伝子はここに源を持つ。紛れも無い事実として、日本列島には元々は縄文人が住んでいたのだ。
征服民である弥生人が渡来する以前には、縄文人である蝦夷は大和にも住んでいたと考えられる。歴史的に見て熊襲、蝦夷と呼ばれる民族が原日本人であったことは明らかである。
その後、彼らは大和朝廷によって征伐されることになる。大和朝廷とは歴史的観点から見れば、征服民族であることは説明を要しないであろう。
弥生時代が前4?後3世紀であることから、この時代に朝鮮半島から弥生人が九州へ渡来し、そこに本拠地を設け、並行して水稲栽培を主体とする農耕技術並びに金属器等を伝播したと考えて良いだろう。当時の君主は、オオキミ若しくはスメラミコトと称された。
しかし、縄文人は征伐され絶滅したわけではない。
大和朝廷の傘下に組み込まれる過程で大和朝廷に帰順し弥生人と混血し、その遺伝子と共に民族の集合的無意識というものは温存され、信仰は形を変えて残ることになる。
なぜなら、日本神話を見れば明らかなように、彼ら(弥生人)は、徐々に権力を手中に治め、畿内へと勢力を拡大させ、山の狩猟民の娘、海の神の娘と混血することで、豪族達を従えた。日本の最初の天皇と言われる神武天皇は、こうした混血の結果誕生することになるからだ。
中央集権的な律令国家の基礎には、縄文人の宗教が巧みに利用された。
伝統的な権威を温存し、神殿は死者を鎮魂しケガレを祓い浄化し、人々の怒りを鎮撫する為に豪壮な物に造りかえられていく。


●縄文人の風習を色濃く温存した倭人であるアイヌ人の信仰に神道の信仰と類似性を見る人間は多い。
岩田大中の『人類之祖国 太古日本史』の中に面白い指摘がある。
アイヌ民族と現代の日本人との習慣の類似性についてこと細かい指摘があるのだが、例えば、アイヌの神、カムイは日本と同様、戸の上に置かれる。このことからカモイとはカムイが転化したものではないのか。
アイヌ民族の天地創造神話と日本の神話は全く同じである。
アイヌ民族の民謡踊りは、日本に伝わるものと同一の様式形態をもつ。
この他、いくつもの類似性をあげている。


このことから解ることは、弥生人は征服民の宗教を温存し、それを巧みに利用し、彼らの心を掌握していったのだ。土俗の神々は、大和朝廷による征服の過程で、形を継承させながらも巧みに外来の思想で統合されていった。「記紀神話」が捏造され、神道は宗教として確立され、そして土俗の神々に外来の神々が取って代わったのだ。
この後、天武天皇は伊勢神宮を頂点にし神殿の整備と全国の神社の統合を行うことになる。
また律令国家としての君主の称号である<天皇>号は、天武期に定着したと見なされている。
万世一系とは、本来この時に始まった物語だったのだ。
(勿論、この時には仏教、儒教なども同時進行で日本に入り込んでくる。)
カムイ(神)に対する信仰は原日本人が過去より継承してきたものであった。しかしアイヌなどでは、熊、蛇、といったような動物に神聖を見出している。
それに対して神道とは、そこに外来思想が混交し、原日本人の宗教的システムを温存させながらも、天皇を神に据えることで意味の転換(ずれ)を図った。
元来、渡来人と豪族との混血から生れた民族を祖先に持つものが現代の日本人であり、神道こそ固有の日本人の宗教であり、僕は、日本人の根底にあるものはアニミズムに帰着すると考えている。


ここで聖徳太子によって603年に制定された冠位十二階がヒエラルキーの構造を最初に成文化したものであることを付け加えておく。

●縦軸の地の底より湧き起こる集団の足音。
地は鋭く切り開かれ、その裂け目から現れ出たのは
真っ赤な血に染まった軍服に身を包み、殆ど肉は朽ち落ち、穴の開いた全身から蛆が湧き、抉られた眼球の窪地には蛇が棲み付き、それにも拘らず足並みを乱さず行進する若者達。
国家意思が優先され、、生き残る確立の無い場所に追いやられ、悠久の大義に殉ずることを自己目的とし自らの命を国家の為に捧げた若者達。
彼らの魂を鎮魂し浄化させる装置として靖国の杜は存在する・・・


■参考文献◆◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━

「古神道・神道の謎」(別冊歴史読本)新人物往来社
「日本神道のすべて」瓜生 中:渋谷申博 著 日本文芸社
「神道の逆襲」菅野覚明 著 講談社現代新書
「昭和のことば」雑喉 潤: 永沢道雄: 刀祢館正久著 朝日ソノラマ
「アイヌは原日本人か」梅原猛:埴原和郎 著 小学館
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