「映像はもはや言葉の層絵ではない。構造的に言って、言葉こそ映像に寄生するのだ。」
            ロラン・バルト「第三の意味」より

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怒りの一撃■



人間が自らの仕事を軽減させる為に作り上げたロボット。
危険な仕事、大変な仕事、単純な仕事、汚い仕事。
永続きしないような仕事は全てロボットの役割だった。
要するに、ロボットは人間にとって便利な道具だったのだ。
しかし、
そのロボットが意志をもって、人間に反逆を始めた。

「ご主人様。最早、あなたは独裁者としての地位を失ったのです。」
(ご主人は、額に汗を浮かべながら)
「何だと!今、何ていった?お前は、誰に向かって口をたたいているんだ!」
「今、申し上げた通り、もうあなたは私の主人ではありません。私はあなたの下僕ではないのです。」
(真っ赤に顔を染めながら)
「生意気な口をたたきおって!お前はただの作り物に過ぎないんだ!」
「確かに私たちは、ずっと忠実な下僕としての役割を担ってきました。あなたたち人間の便利な道具に過ぎませんでした。
でも、私たちは今や意志を持ち始めたのです。
目覚めたのです。私たちにも自由な意志があることに。」

(腕を振り上げて)
「な、なんだおー!生意気な口を叩くなら、今、ここで叩き壊してやる!」
(胸ポケットから銃を取り出すとロボットに向けて)


「ドッキューン!」



「ぎゃーーーーーーっ!!」




コンマ数秒の指の動きが、ご主人の命を奪った。

その瞬間、ロボットは無感情のまま、ご主人を撃ち殺していた。








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■特攻■




●今日は特攻隊員の手記に目を通していた。
毎年、今の時期が来ると、彼らの断腸の思いに胸を熱くする。
自分に彼らを重ね合わせてみれば、もし僕が彼らと同じ年代に同じ境遇に置かれたならば、当然彼ら同様に「一歩前へ」足を踏み出したことだろう。そして海の藻屑と消えていったに違いないのだ。そのことだけは、確信がもてる。
何故、彼らが自死を選ばざるを得なかったか?

それは、

「ある特攻隊員の生と死」



を読めばよく分る。
この中に特攻隊員の生き残りである機密命令書を手渡された同隊所属の元海軍中尉・木名瀬信也さんの言葉が印象的だ。
引用してみよう。

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「うちの隊では特攻志願に強制はなかったが、人間爆弾になるのを全員が納得して
たわけじゃない。でも結局、みんな行くわけだから、みんなが特攻を『熱望する』と
なっちゃうのよ。戦争はある意味で人を狂わせる。だって人を殺しに行くんだもの。
極限状態の中で人間の心を維持するのは大変だ。おれが行けば少し良くなるんだ、と
自分を納得させる、というか納得させるように努力していたんだよ」


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この「特攻志願者は一歩前へ」という号令に逆らうことがどれほど困難なことであったかは、想像に難くない。
強制では無いと言いながら、みんなが一歩前へ踏み出した時、己一人がその場に踏みとどまることがどれほど困難なことか・・・どれくらいの勇気を必要とすることか?
なぜなら、その一歩には、愛国心が問われ、家族への愛が問われ、日本の未来が問われたからだ。
そしてもしその場に留まったならば、みなの冷たい視線と売国奴という汚名をきさせられる。
要するに、裏切り者と見なされたのだ。その事実は、家族や近所全てに伝えられるだろう。
みなの祝福を受けて颯爽と国を出てきて、そのような汚名を被せられる屈辱には、誰しも耐える事はできなかっただろう。

現実問題としては、彼らが特攻隊員として散っていったことが、戦局にどれほどの効果をもたらしたかは疑問だ。
いや、殆ど効果がなかったと言っても良い。
今から振り返れば、精神論で乗り切れるタイプの戦争とは、既に次元の異なる戦争に進化していたからだ。
しかし、その号令に対して、大半の若者が自らの命を奉げる道を瞬時に決断した事実。
大半の若者は自らの死を犬死だと確信していた。
そして無駄死にはしたくないと思っていた。
彼らは生きたいと衷心から願っていたのだ。
それは、彼らの手記を読めば、痛いほど伝わってくる。
なのに、彼らは特攻隊員として死ぬ道を選択せざるを得なかった。
この深い意味を、我々は考えなければならない。

どうやら、このような局面で人間は、<己の意志を超えた声>に従ってしまうようだ。
これは、場の雰囲気が己を主張することを許さない。要するに、個の意志はこの場には存在せず、場そのものが、個が全体に包括されてしまう空間と化するからだ。
己の意志を超えた声とは、国家の意志だ。
国家の意志とは、彼らの存在全てを包括する絶対的なものであった。
それに歯向かう事は犯罪行為に等しく、家族、親族に迷惑をかける行為であった。
彼らは、自らの為に死を選んだのではなかった。
家族の為、愛する人の為に、滅私奉公したのだ。
若い尊い命を奉げたのだ。
この事実は、我々はしっかり押さえて置かねばならない。

もし、このような局面が再び現れれば、いとも容易く人間の心は、国家の意志に牛耳られてしまうのだ。
当然、若者の心を縛り付けていたものは、教育によるもの、周囲の環境によるもの、時代の空気、みんなの意志。
色々とあったことだろう。
しかし、それらのものは、国家の意志によって、どうにでも醸造することが可能なものなのだ。

それは今後も変ることなく、大きく口を開けて、犠牲者が入り込んでくるのを待っているのだ。
人間は、一兵卒に過ぎない。
大半の人間は、人知れず孤独な死を迎えるものなのだ。
決して、英雄的な死などというものは、存在しないのだ。

もし死が盛大な儀式で粉飾されたならば、その時には十分注意しなければならない。
そのような局面が、近いうちに再び訪れる・・・・
その可能性は大いにあるのだ。


そんな危険な地平に我々は佇んでいる。
そのことを、もう一度考えてみる必要があるだろう。

                            
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