思考とは驚きからの絶えざる飛翔である。」
                              アインシュタイン





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●都市は呪われている。
門戸を開放したが故に呪われている。

現代社会が抱える様々な問題。
犯罪、経済危機、経済戦争、治癒不能な病気の世界的な規模での伝染、戦争、環境破壊、少子化、高齢化、自然災害、etc....
これらの問題に解決策はあるのか?
そして、未来に夢と希望は抱けるのだろうか?
それを考える前に、
かって、日本が元気だった時代をもう一度振り返ってみようではないか。
そこに日本再生のヒントは隠されてはいないだろうか?

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●消費は美徳と呼ばれ、大きいことは良い事だと大きいものを作れば売れた時代がありました。
マスメディアを駆使して、大々的に宣伝費を投入し、大衆を煽っていれば売れた時代です。
その時代の背景について、まず触れる必要があるかと思います。

●1955年の「神武景気」から日本の繁栄が始る訳ですが、この年の経済成長率は9%というものでした。この成長率を背景にして、1956年に経済企画庁の発表した「もはや戦後ではない」という台詞が、流行語にまでなりました。その後、「なべ底景気」という不況も経験しましたが、所得倍増計画によって1959年より1961年まで「岩戸景気」が沸き起こりました。
1962年には、東京が世界初の1000万都市になり、1964年の東京オリンピックによって、東京の姿は一気に変貌します。

そして日本は1965年の不況期の後、1970年までの長期に続く「いざなぎ景気」に恵まれることとなります。
この好景気を背景にして、1966年には日本の総人口が1億人を突破するのです。
この時代が、日本が一番活気のあった時代と呼べると思います。1967年は、グループサウンズが大流行いたしました。
学生運動も華やかかりし頃です。これは、1966年の中国の文化大革命の影響も大きかった訳です。
1969年には、アポロ11号の月着陸がありました。
景気の良い時には、人間は活動的になるんですね。
そして過激になれる。



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Youth(青春の詩)
                
                Samuel Ullman


Youth is not a time of life;
it is a state of mind;

青春、それは人生のある時代を言うのではない。
それは、心の様相を言う。


Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.

人は歳を重ねるだけで老いるのではない。
理想を捨てた時、人は老いるのである。


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●僕達の青春は、東京の過密化と農村地帯の過疎化が同時進行していた時期でした。
テレビがお茶の間を賑わし、野球は巨人、相撲は大鵬、ご馳走は卵焼き。
漫画は「鉄腕アトム」「おそ松くん」「鉄人28号」「伊賀の影丸」「8マン」「紫電改のタカ」
「サイボーグ009」「ワタリ」「サブマリン707」「オバケのQ太郎」
少し遅れて「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「もうれつア太郎」「どろろ」「あしたのジョー」
などが僕の好みでした。
遊びと言えば「めんこ遊び」に「かくれんぼ」「ベー駒遊び」に「忍者ごっこ」
そしてテレビの「ローハイド」「コンバット」などに夢中でアメリカの生活に憧れた幼年時代。
即席ラーメンは、驚きをもって迎えられ、「のりたま」はご飯には欠かせないおかずであり、
お菓子は「マーブルチョコレート」であり「当たり前田のクラッカー」だったのです。

この頃は産業が重化学工業化された時代で、日本が一丸となって近代化へ脱皮した時期でした。
池田首相の「所得倍増計画」の掛け声の下、日本はあれよあれよと成長を続けた。
都市部に人工が集中化したことから、当然、公害問題や住宅の不足の問題、農村の過疎化による「村落共同体」の解体等、沢山の問題を抱えていました。

しかしイケイケドンドンの時代で、頑張れば誰もが成功を掴める可能性を持った時代だったのです。
「クレイジー・キャッツ」がブームを作り、当時植木等の「無責任男」がサラリーマンに絶大の支持を受けました。

「見ろよ青い空白い雲 そのうちなんとかなるだろう♪」
植木の歌には開け放された明るさがあった為、当時の人々には大いに受け入れられました。


当然、時代の空気もそうしたものだったのです。
誰もが幸せを掴む可能性をもてた大きな時代だったのだのです。

だからこそ、
「こつこつやる奴はごくろうさん」
「わかっちゃいるけどやめられない」
「ハイそれ〜〜までヨ!」
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」

こんな台詞さえもが、もてはやされたのです。

そして「C調」などという台詞が好意をもって受けいれられたのです。

これから後にグループサウンズのブームが到来し、若者たちはエレキに夢中になります。


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●面白いもので、景気の翳りとともに、学生運動も収束していくんですね。
当然、グループサウンズも人気凋落で解散に追い込まれていきます。

1971年には固定相場制から変動相場制への移行、所謂ドルショック。これがニクソン米大統領の声明として出されます。そして1973年には、オイルショックが起きる訳です。その後、不況が続くのです。
しかし、その後にマネーゲームが日本で湧き上がります。日本が一気に世界を牛耳る立場まで駆け上がったのです。今回、仕掛けられたこのブームに関しては、ここでは触れません。

●1970年、僕はここまでが、本当の意味の日本の経済成長の時代と呼べると思います。
僕が考えるに、大衆が存在したのは、この時代までだと思います。
この後、分衆という言葉が囃し立てられ、その後に少衆という言葉が生まれるのです。
この言葉が意味するものは、大量生産=大量消費が最早成立しなくなったということです。
良く言えば個性的と呼べば呼べますが、実は日本人が個に沈潜し始めた時期と符号するのです。
人は人、自分は自分。
吾が道を行く。
そんな感覚に近いんじゃないでしょうか?
組織の解体が進むのもこの頃です。
追い詰められた学生運動家達も、過激さを増し、解体に向かう時期に当たります。

過去を振り返る面白いことが分ります。
経済が成長期には、人間は一致団結するものなのです。
群れを成す、グループを形成するものなのです。
これを仮にプラスの集合体と名付けましょう。
何故そのようなことが起きるのか?
これは、互いに切磋琢磨でき、相乗効果が生まれる環境が創出されるからだと思います。
その裏側には、失敗しても幾らでも取り返しが出来る場が存在したことが挙げられます。

逆に、不景気の時には負の集合体が生まれると僕は考えております。
新興宗教や部落(ホームレス等弱者)の形成といったものです。社会から疎外された弱者達の共同体です。
人間は、弱いもので、一人で生きてゆくことはできませんので、群れる訳ですね。相互扶助してゆく。
でもこれは、互いの傷の舐め合い的組織だと考えています。そのままでは、社会的に有効性をなかなか発揮できない。
これからの時代には、ますますこのような裏側的組織とも呼ぶべきものが増えることと思います。
しかし、この組織は、経済的な波及効果が殆ど望めない組織なのです。
僕のような営業職の人間から見ますと、購買対象として、なかなか考えられない組織ですね。

もし、平成の龍馬が存在するならば、僕はこのような経済活動とは隔絶した場所に存在する組織に目を向けるのでは?
そう考えております。
書いていて、纏まりがないですね。
また今度、ゆっくりと考えてみます。
日本の元気を取り戻すには何をするべきか?
今後もこの問題を考えていきたいと思います。


では。


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■英雄待望論■
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「画一的な性格が拡大すると、さまざまな領域の同質化を促し、結局はナショナリズムと結びつく。」
 マクルハーンは、そのように語った。

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●いつの時代にも、人間の心の中には、悪を憎み正義を求める気持ちがある。
これは、内的規範が働くからではなく、人間が生来もって生まれた性質なのだろう。
自然な感情の発露として、正義の味方に同情し感情を移入する。
だからこそ、正義の味方が登場する創作物は人気を集める。
「水戸黄門」「鉄腕アトム」「赤銅鈴之助」「月光仮面」「鉄人28号」「イガグリくん」「セーラームーン」「スーパーマン」・・・・etc.....
かって、数え切れない数のヒーローが時代を彩ってきた。
人は、己に代わって、ヒーローが悪を退治してくれる勇敢な姿に溜飲を下げるのだ。
裏を返せば、自分に出来ないことを代理してくれることを、ヒーローに求めているのだ。

●ところで、みなさんはタカラがリカちゃん人形を発売したのが、いつかご存知だろうか?
『近代子ども史年表』(河出書房新社刊)によると、1967年(昭和42年)とのことだ。
日本は高度成長真っ盛り、わき目も振らず走り続けたツケとして、公害が問題になりだした頃だ。
学生運動も盛んで、日本全体が熱く燃え滾っていた時代だった。

このリカちゃんの設定は、パパは海外赴任、ママはファッションデザイナー、そしてリカちゃんは小学5年生ということになっていた
当時の憧れの家に住んでいた小学5年生のリカちゃんは、2012年現在では44、5歳になっている筈だ。今、リカちゃんは、どんな暮らしをしているのだろうか?
海外赴任の父親は、定年して隠居暮らしなのだろうか。デザイナーの母親は、まだ第一線で頑張っているのだろうか?それとも引退したのだろうか?
常識的に考えれば、リカちゃんは結婚して幸せになっている筈だ。
年齢から想像すれば、リカちゃんには社会人1年生の息子と女子大に通う娘がいる。
旦那さんは、テレビの有名ディレクターで活躍中。
この一家は、何不自由ない生活を満喫している。
一昔前なら、こんな設定が安易に考え出されただろう。
しかし、今ではこんな単純な設定で満足する人はいないだろう。

今は時代が非常に見えにくくなっている。
昨日まで天下を取っていた人間が、数日後には没落している。
それほど時代のサイクルが速くなっている。
先の見通しが、まるで立たなくなっている。
こんな時代に、安易な環境設定をしても、誰の共感も得られないだろう。

僕達に、ヒーローが死んでしまうことを最初に教えてくれたものは、「あしたのジョー」だった。
それ以前、ヒーローが死ぬなんていうことを誰が想像したことだろうか?・・・
正義が必ず勝つということは、この世の中では現実には起こり得ないのだ。
主人公だって、死ぬものなのだ。
「あしたのジョー」がそれを教えてくれたのだ。
この裏には、時代の状況が色濃く反映されている。

若者は、自らが信じる正義に純粋に従い、権力と闘い、そして無残に敗れ去った。
若者達は知ったのだ。
この世の中では、正義が敗れることが日常茶飯事、現実とはそのように過酷なものだということを。

しかし、人間の心の中には、最後には悪が滅び正義が勝って欲しいという想いがある。
英雄が突如として現れ、今の閉塞状況を打破して欲しいという願いがある。
もし、リカちゃんが何不自由ない一生を送っていると仮定したら、怒りの余り人形を壊す人も現れることだろう。
リカちゃん人形が生まれてからの45年とは、日本にとって非常に変化に富んだ歳月だった。
高度経済成長から、横ばい成長、やがてバブルで膨れ上がって、パーンと弾けた。
その後に永く今も続くどん底景気。その上、東日本大震災等の自然災害・・・・
リカちゃんだけが、波風立たない幸福な生活を謳歌していたなんて、そんなことは誰も許さない。

現実を把握するには、鳥瞰的視座で物事を見ていても駄目なのだ。
それでは現実の表層風景以外何も見えない。
雑草の中で蠢く虫の微視的視座だけで物事を見ていても、やはり駄目なのだ。
その双方の視座から、物事を捉えていかなくては、現実の世界は見えてこないのだ。
だからこそ、かってのヒロインであるリカちゃんのことが気にかかるのだ。
実体験を背景に持たない薄っぺらな観念で現代を捉える事はできないのだ。
情報だけでは、本当の生活は何も見えてこないのだ。
巧みな弁舌だけで、世の中を変えることなど出来ない相談なのだ。
人々の共感を得るには、彼らの痛みを共有することが必要条件なのだ。

本当のヒーローとは、何時の時代にも、どん底から這い上がってきた人間だけがなれる筈だからだ。









ここに英雄待望論を捧ぐ。




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