インプリンティングー刷り込み。

我々がもし生れて初めて見たものを親として認識したら果してどうなるのだろうか?

同様に、今の社会を正常な状態だとインプリンティングされた人間がいたとすれば、どうなるのだろうか?

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●現代の少年犯罪の残虐さは目を覆うばかりだが、一体何が彼らに残虐性を植え付けているのだろうか?漫画やテレビの影響を無視することはできないが、どうもそれ以上の何かがある気がしてならない。
子供達は、大人の社会を親を通して知り、教師を通じて知る。
だから、教育こそが、一番重要な問題であると結論付けることは簡単だ。
しかし、僕はこの原因を資本主義という器の劣化に求めたい気がする。
ご存知のように、現代のデフレが進行した不景気の中にあって、企業の生き残りを賭けた戦いは熾烈さを増している。
他社との競争に打ち勝つだけでなく、自社内に於ける生き残り競争にも勝利せねばならない。
その為には、仲間への裏切り行為さえもが横行する。
日本企業の良さというものは、いうまでもなく年功序列型の賃金体系と家族主義にあった。
一蓮托生、みんな同じ会社の家族の一員じゃないか。
駄目な時は、みんなで同じに苦しめばいい・・・
そんな考えが罷り通っていたのは、一昔前の話だ。
今は、自分が生き残る為には、手段を選ばない。
平気で世話になった人を裏切り、その行為に罪の意識さえ芽生えない。
みんながそうなんだから、俺が裏切ってもいいじゃないか。
そんな言い訳を裏切りの大義名分として使用する。

こうした大人たちの社会が、子供達の教育に影響を与えない筈が無い。
自信を失った親を見て、子供達はどんなことを考えるだろうか?
仲間を平然と裏切る親を見て、子供達は何を思うであろうか?
そうしたことは、隠していても子供達に敏感に伝わるものなのだ。
だからこそ、子供達は、かなり年少時から、競争での勝ち残りを意識するのではないだろうか?
自らの尺度に照らし合わせ、弱者と見なしたものには、いともたやすく残忍な行為を行うことが出来る。それは、大人社会の悪い面を多分に反映していると考えられないだろうか?
弱者には、生きる価値が無い。
自分は強者で、生きる価値がある。
企業内に於いて罷り通る論理が、子供の社会へも反映される。
殺すという行為は、なにも命を物理的に奪うことだけを意味するのではない。
かく首(免職)、左遷のような命の取り方もあるのだ。
今の日本を振り返れば分ることだが、社会に全ての人が平等で均等な最低限度の文化的生活を営むことが可能な土壌がなくなってしまった。
無くなってしまったにも拘らず、政府は奇麗事を並べ立て、詐欺師よろしく虎の子の個人の蓄えを吐き出させようと目論んでいる。

みんなが最低限度の文化的な生活を営む権利・・・
さあ、その土壌が崩れ去ってしまったならば、人々は今後一体何を頼りに生きていけばよいのだろうか?しかも政府は、泥棒のように個人から虎の子の蓄えを吸い上げようと躍起になっている。
何の将来展望も出せずにだ。
そんな社会の中にあっても、人々はこれから先も生き残っていかねばならない。
生き残り競争には、勝ち続けねばならない。
これから先も家族を守っていかなければならない。
その想いは強烈に子供達に伝わっている筈だ。

子供達は、痛いほど親の気持ちを受け止めているのだ。
だからこそ、自らが邪魔な人間と考えた人間を消すことを罪の意識も覚えず、さしたる動機もなしに、実行してしまう。
弱者に生きる価値はないという論理は、会社で現代社会で罷り通っていないだろうか?
能力無き者、やる気の無い者は去れ!
そんな台詞が、堂々と市民権を得ている社会が、正常なる社会である筈がないのだ。
これは、完全に病んだ社会なのだ。
現代は、社会という器そのものが病んでいる。
子供達の凶暴化、犯罪の凶悪化。
それらを全て社会の責に帰す事はできないが、未来に夢が見れないとしたら、人々は何に希望を託せばよいのだろうか?
ましてや、子供達は・・・・・


犯罪の低年齢化と凶悪さが増す一番の理由は、資本主義という器そのものの劣化であると、僕は前から考えている。
その思いは、昨今ますます強くなってきている。
ひとつの主義が100年も持ちこたえることなど出来ないのだ。
我々は、今こそ新たなる希望を探さなければならない時期に来ていることを、ここに明記すべきだろう。
この競争の原理が全てであれば、現在の政府ーー能力無き烏合の衆は、真っ先に解散されなければならない筈だ。
それにも拘らず、のうのうと生き長らえている事は、これは奇跡を通り越して、摩訶不思議なことだと言わなければならない。


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●少年、少女の性に関る犯罪が、あとをたたない。
少年、少女の身に何か異変が起きているのだろうか?
ある少年は、自らの欲求の捌け口に、幼い子供を傷つけ、そしていとも簡単に殺害してしまった。
しかし、少年が傷つけたものは、実は幼子ではなく、思春期を迎えた己の自我の象徴的シンボルであったかもしれないのだ。
自らの意志を無視して彼の体に大人の兆候が現れた。
その意味付けをする為に少年は、心の闇の中で自問自答を繰り返していたのかもしれないのだ。
少年は、その象徴的シンボルに憎悪を覚えていた。
押さえ切れない欲望に、必死になって抵抗していた。
そして、NK細胞が体に侵入したウイルスを殺すように、彼はそのシンボルを排除したいと望んでいた。
だからこそ少年は、その代理行為として幼子を傷つけ、結果として殺害してしまったのかもしれないのだ。
幼子との間に深い因果関係もなく、突発的な行為として・・・・

●「児童4人行方不明」の報道がなされた時、誰しもが無垢の少女達が、悪質な誘拐事件に巻き込まれたと思った。
しかし、手錠に縛られた少女達が発見された時、誰しもこの事件の不可解さに首を捻った。
隣の部屋では、誘拐・逮捕監禁事件の首謀者が、七輪で練炭を炊き自殺(他殺)していた。
そして、室内から50から60人の男性の名前が書かれた名簿が発見された。
このことは、東京都稲城市の小学6年の女子児童(11から12歳)が売春に携わっていた事実を示していた。
我々は、その事実にこそ、驚愕させられた。
この自殺した男は、フェラーリに乗り、1泊10万円程度のスイートルームクラスに宿泊していたという。
少女達を巧みに操り、その上前を撥ねていた事は火をみるより明らかなことだ。
少女達は、「良いアルバイトがあるよ。」と女子高生に街で声をかけられ、簡単にこの組織に加わってしまったようだ。
たかだか1万円の金が欲しくて、後先のことなど考えない。
彼女達は、自らの未来の展望が描けなかったのだろうか・・・
金が簡単に手に入るならば、何をしても構わないのだろうか?
金、金、金・・・・・
人間の命の尊厳が、踏みにじられ、今や人間は物以下の扱いを受けている。
貨幣価値で置換されるものだけが、全てでは無い筈だ。
金で買えないものだって、この世の中には沢山ある筈なのだ。
我々は、この事件を時代の病理として、捉えない訳にはいかないだろう。
いつの時代であれ、子供達の社会は、大人の社会を反映しているに過ぎないのだ。
信じられないと突き放す前に、己を省みることが必要なのだ。
どうだろう?
我々は、金の奴隷になっていないだろうか?
己の意志に逆らって、他人を苦しめたりしていないだろうか?
生きる為に仕方がない・・・・
そんな言葉は、正当化の理由にはならない。

今、時代は大きな変換期に差しかかっている。
貨幣万能の時代は、直に終わりが来る。
他人を騙し、陥れ、裏切ったとしても、その報いは必ず訪れる。
なぜなら、今時代は物質至上主義から精神的世界への移行期にあるからだ。
目的の為なら、手段は浄化されるって?
本当にそうだろうか・・・・・

幸か不幸か、

「蜘蛛の糸」は、切れるものなのである。







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