私は夏休みを早めに取り、三春町に来ていた。
三春を代表するものは、樹齢1000年余りの天然記念物である滝桜と高柴デコ屋敷で製作される三春駒などの民芸品だ。他に何もないような町だ。
山の中にぽっかりと昔ながらの城下町の雰囲気が残されている。
静かな淋しげでちっぽけな町だ。
しかし、このちっぽけな町が、東北の自由民権運動の発祥の地とされるのだから驚きだ。

実はここは、私の本籍地に当たるのだ。
現在では、わずかの土地と室町時代から続くわが一族代代の墓があるに過ぎない。
私の墓のある寺は、曹洞宗の寺であり、安寿と厨子王の伝説がまつわる身代わり地蔵堂がある由緒ある寺なのである。
ここでは、ひとつの山全体が墓として利用されている。
当時地位の高い人間ほど山の頂上付近に墓を拵えたのだ。私の先祖は、三春藩の今で言う教授のような仕事をしていたらしい。
その為に、墓参りには急な山道を上がっていかなければならないのだ。
何しろ、山の頂上付近に墓がひろがっている。
蝉が鳴き、蜻蛉が舞い、やぶ蚊が群れを成す。
その中を登っていくのだ。
頭上から真夏の太陽が照り付け、両手一杯の花束と如雨露を抱えた私は噴出した汗を拭うことも出来ない。しかし、墓参りを無事にすました後の開放感が格別なのだ。

さて、この三春藩は戊辰戦争において興味深い行動を取っている。
倒幕派、佐幕派両派と関係のあった三春藩は、当初新政府軍として白河に出兵したが、奥羽越列藩同盟に加盟し、翻って幕府軍に付くことになる。
しかし無血開城を決定してからは、新政府軍につき、二本松、会津の攻撃に参加するという裏切り行動に出ることになる。
当然、二本松、会津藩の怒りには、筆舌できないものがあったであろう。
が、このことは三春藩領が5万石という小藩であったことを考慮すべきであろう。
このような小藩が生き残る為に、無血開城をした。
城下を戦禍にさらさずにすませた意義は、高く評価していいのではないか。

往往にして、日本人は会津藩の滅びの美学に惹かれるものではある。
桜の散り際の美に酔うところがある。
だが、私に言わせれば、
滅びの美学には、潔さがあっても発展性が無い。
今があっても、未来が無い。
永遠に続く生の営みを続けることにこそ、人間としての価値が生まれるのではないか。
自らの遺伝子の継承にこそ、託すものがあるのではないか?

                  、■資料参考「近代三春の夜明け」三春町歴史民俗資料館編

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『夢十夜』


その夜、私は奇妙な夢を見た。

情景的には、深夜の話なのだ。
強い風が吹いていた。
風の音が、無気味に鳴り響いていた。
空が、深緑色に染まり、灰色の雲が風に乗って速い速度で流れていた。
柳の葉が激しく揺れているのが、あたかも幽霊が空を泳いでいるように見えた。それほど、葉はくねっとようなリアルな動きをしていた。
どうも私がいたのは、森の中に広がった草原らしかった。
その草原では、数十人の人間が輪になって踊っていた。
時計周りと反対の方向へ、彼等は呪詛ともうめき声ともつかない低い声をあげて踊りながら周を描いていた。
その集団には、強い秘密の匂いがしたのだ。
男は武具を纏い、体を動かす度に、鎧の音がぎしぎし軋む音が辺りに響き渡った。
女性は、髪飾りをつけ、提灯を手にして踊っていた。
どうやら死者の再生を願っての儀式のようだった。
その証拠に、円の中心に、子供の死体が横たえられていた。
子供は、どうやら地位の高い身分の人間の子供らしかった。
全身を、紫色の袈裟のような衣で包まれていたし、けばけばしく化粧が施されていた。
彼らの輪の中心の上空には、真丸の月がおぼろげに輝いていた。
その月はとても巨大で、色は、オレンジ色に見えた。
私は、木々に体を隠すようにその様子を見つめていた。
彼らからの距離は、約10メートル。
私の隠れている茂みは、草ぼうぼうで、私の体を隠すに十分だった。
彼らに見つかる筈は無かったのだ。

ところが、
「にやゃ〜ん」
その時、私の隣に猫がやってきた。
びっくりした私は、
「しっ、しっ。」
追い払うが、その猫は私の傍から離れようとしない。
猫は尻尾をぴんと立て、体を摺り寄せてくるのだ。
私は、焦った。
何故か理由は分からないが、踊っている人間達に私の存在を知られることは、ひどく危険なことに思われたのだ。
私は、棒切れを拾うと、猫を威嚇した。
猫は突然、毛を逆立てると、真っ青に光る目で私を睨み付けた。
「ふぎゃーーーっ。」
私も猫の目を睨み返した。
必死だったのだ。
この猫を追い払わねばならない。
心の中で命ずるものがあったのだ。

だが、次の瞬間だった。
「ぽーーん」と猫の体が宙に浮いたと思った時は、すでに遅かった。

猫は私の左の首筋に飛びついてきたのだ。
そして鋭い歯を剥き出して、あたかもスローモーションのように首筋の血管に噛み付いたのだ。
鋭い痛みが全身を走り抜けた。
と同時に、噴水のように血が天に向かって噴出した。
驚いた私は意識を失い、その場に倒れこんだ。

私は蒸気機関車で、どこかへ運ばれていくようだった。
それは、『弁慶号』と呼ばれる明治13年にアメリカから輸入した汽車だった。
私は、SL『ばんえつ号』が復活したことは知っていた。
昼間、駅でパンフレットを見た時に、ぜひ乗りたく思っていたからだ。会津若松から新潟まで走るこの汽車は、C57だった。
が、今私が乗っている『弁慶号』は北海道を走った汽車であった。

かなりの遠くまで運ばれたようだ。
私は、汽車の警笛と車輪の音を聞きながら、揺れる車体の上で横になったまま意識を失っていた。
気がついた時、どうやら建物の中で倒れていたようだ。
その木の天井は、真っ黒に見えた。
良く観ると、どうも何者かが、天井を埋め尽くしている様子だった。
かすかにいくつもの小さな固体が、気ぜわしく動き廻っている様子が窺がえたのだ。
私は目を凝らし、その存在を確認しようと努めた。
そして、それがゴキブリの群れだと知ったとき、全身から血の気が引いていった。
数匹が私の顔に向って天井から落ちてきた。
おどろいて、それを払いのけた私は、それらを踏み潰した。
ねずみ色の粘着性のある体液を出して、それらは床に刻まれた。
起きあがった私は、勇気を奮い起こし、階段を上っていった。
そこに何かが隠されている気がしたからだ。

案の定、その天井裏には、腐った死体が山積みされていたのである。
その死体に蟲が群がっていた。
それらの死体は、どれも目を大きく見開き、口を苦痛と憎しみで歪め、天に手を伸ばした状態で折り重なるように積まれていた。




人間の染色体に刻まれた遺伝子が物語を作る。
生きている人間は、死の世界を忘れている。
自らの遺伝子に刻まれた記録のことを忘れている。
しかし夢の中で、人間は無防備になる。
その無防備の状態の中で、意識化に沈んだ物語が、不可避的に再生されるのだ。
それは、幻想の風景として偶然に蘇るのだ。
その夜、東北地方は生ぬるい強い風が吹いていた。

その風が、一篇の物語を運んできたのかもしれない。
蝉がきぜわしく鳴き叫ぶ・・・・夏に。






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「夢十夜」

革命





こんな夢を見た。
私は、中世の武士であった。
しかし武士といっても名ばかりで生活は逼迫し、傘などを作るアルバイトをし辛うじてぎりぎりの生活を支えていた。
女房も私同様、幼子を背負いながら寝る間もなく働き続けていた。
それにも拘わらず、藩からの俸給は途絶えたままで、生活は借金がかさむばかりで苦しくなる一方だった。
その頃、私の住む町では原因不明の疫病が蔓延していた。
その病は、一旦罹ると数日で皮膚に出来た潰瘍が風船のように膨れ、みるみる頭大の大きさまで膨張し「ぱーーん!!」
と、とつぜん風船が割れるような音と共に破裂し、体に大きな穴が空き、そこから大量の血液と共に、内臓などが飛び出し死んでしまうのである。そして、同時に体の中に寄生していた米粒大の蛆虫のようなものが、大量に飛び出してくるのだ。
それらが飛び出してきた時は、私達は必死で足で踏み潰さなければならないのだ。
数百匹は一体の人間の開いた穴から飛び出してくるのだ。
動きは素早く、もたもたしているとそれらは、家具の裏や天井裏などに住み着いてしまう。
一旦、彼らが棲みついてしまうと、夜に彼らの交わす話し声がうるさくて寝ることが出来なくなるのだった。
彼らは、呪詛とも祈りともつかない鳴き声で、夜通し鳴き続けるのだ。
時には、死んだ本人の姿に成り代わり、枕もとに立って脅かしたりして、こちらがびっくりすると集団で無気味な・・・機械が擦れ合うように笑い声を立てるのである。
その恐怖は筆舌できない位だ。
この病気の特徴は、破裂するまで、病に罹った本人の意識は明瞭で、やがて潰瘍が頭大の大きさまで成長すると体のみならず、心まで完全に何者かに占拠されてしまうことだった。

この病から身を守る方法を知っているということで、ある修験僧はたいそうな人気を博していた。
彼は、朝廷や貴族と結びつき権力の中心に上り詰めていた。
なんでも、ある貴族の子供の命を救ったと言う噂だった。
彼はある日、町中で病人を数十人集め、加持祈祷を行った。
それは、病人を釜茹でにし、病人の体に巣食った病魔が熱に耐え切れずに病人の口から飛び出したものを網で掬い、塩を振りかけ固めてしまうと言うものだった。
目撃した人間の話では、煮立った釜の中で病人は殆ど死んでしまうらしい。
しかし、確かに病人の口から「ぽわっ。」と青紫色の煙のようなものが出てくるらしい。
修験僧は、それを手際よく網で掬い取ると、塩を塗し固めてしまい、手の平で饅頭のように丸め、病人の口に咥えさせるらしい。
それを咥えた病人は、体の腫れが瞬時に引き、元気を取り戻すとのことだった。
それを聞いた時、私は「釜茹でにされた人間は死んでしまうのに、それを食べた人間は助かるのか・・・割り切れない思いがするが・・」
と語った。
彼が言うことには、「人間には生まれついての定めがある。」とのことらしかった。
が、実際には、祈祷料の多寡により釜茹でにされる人間は決められていたようだ。

ある朝、目が醒めると、どうも腰の辺りが重苦しい。
見ると、腰の左側に人面のような文様の拳大のしこりがある事に気がついた。
押してみると「むぎぅ・・」
苦しげな音を発する。
どうやら私も病に罹ったらしい。
湿布をしたが、効き目が無い。
弱り目に祟り目とは、まさにこのことだろう。
借金で身動き出来ない身の上で、このような病に罹るとは・・・
私は、天を仰いだ。
まずは、このことを女房には伏せておかねばならない。
私は、原因が分かっていたのだ。
先日の川端で行われた花火大会の時に、ある女性と金の絡む肉体関係を持った。
その時、私の体の中に何者かが侵入したのが分かったのだ。
それは、女と一体化した時に、女の体から私の中に侵入した。
射精が逆流したもののようだった。

こうなってしまえば、運命を呪うしかあるまい。
こんな人生なら諦めも早い。
私は、自分の体に棲みついたこの化け物を、冷静に観察することにした。
日増しに大きくなってくるこの化け物は、もはや外部から隠すことが出来ない位に成長した。
それもたった数日の出来事だった。
異変に気がついた女房は、これを知って泣いた。
早速、親戚も我が家に集まり、みんなで運命を呪った。
しかし最早どうすることも出来なかった。

しかし当事者の私は、案外冷静であった。
ある意味で、人生の成り行きを楽しんでいた。
どうせ生きていても苦しみしか残ってないのだ。
ならば、この悲劇を楽しんでも罰も当たるまい。
人間、冷静になると名案が浮かぶものだ。
そしてあの修験僧の祈祷のことを思い出した。
このしこりは、どうやら熱に弱いらしい。
私は、赤く熱した鉄棒でこのしこりを焼ききろうとした。
どうもこのしこりには、感情があるらしかった。
真っ赤な鉄棒を見て、酷く怯えているのが分かった。
私は、嬉しくなった。
勇気をふるって、そいつに鉄棒を押し付けてやった。
「じゅーーーーっ!」
肉がこげる音と、匂いと共に奴の断末魔の叫び声が響き渡った。
が、私は全く苦痛は感じなかった。
すでにその部分は、私の体では無くなっている様だった。
奴の叫び声が、蚊の泣くようなか細いものに変わってきた。
私は嬉しくて何度もこの動作を繰返した。
すると「ばこん!」
音がし、腰に大きな穴が開いた。
見ると、奴は死んだようだった。
しかし、その穴から大量の血液が流れ出し、腸が飛び出してきた。
私は手で穴を塞ごうとしたが、内部からの圧力が強く、その圧力に屈してしまった。
腸が「ぼよよよ・・・ん」と飛び出した。
私は、前のめりに倒れこみ、意識を失った。
否、既に死んでいたのかもしれない。

しかし私の意識は明瞭だったのだ。
肉体は明らかに死んでいたが、意識は確実に生きていたのだ。
私は、自分の死体を斜め上空より、微笑みながら眺めていた。
私の死体に、家族が泣きながら擦り寄っていた。







国が病んで未来に希望が見出せない時に、人間は目に見えない世界に思いを馳せる。
神社仏閣などに対する参詣や聖地巡礼の背後には、形而上学的存在に対する救いの念(希求)が見え隠れする。
ある意味で、こうした崇拝が盛んな時代とは、深く病んだ時代と呼ぶことも可能であろう。
自らの力で、何ものも解決できないと悟った時、人は不可知的存在に身を委ねるのである。
これは、わが身を振り返っても往々にして経験することであろう。
現代は・・・・さて?



中世以降、大山、御獄、富士、伊勢参りなどの社寺参詣が活発化した。
こうした社寺参拝は、村組の互助組織である「講」を結んで行われることが多かった。
世田谷の私の自宅の前の道は、大山通りと呼ばれ、当時旅人が大山詣での為に利用された街道に当たるのである。
こうした社寺参詣が盛んに行われた背景には、「御師(おんし)」と呼ばれる朝廷や貴族と結びつき加持祈祷を行い、参詣客の宿泊の便宜や案内などを行っていた者達が、信者のみならず一般民衆に札や大麻などを配ったことが大きいと考えられる。
新興の武士階級とも結びついた彼等は、札を市中にばら撒くことで、市中に混乱を導き、時代の転換期に民衆のエネルギーの結集を齎したのではないか?
このように一種、熱狂的に広まった社寺参詣には、恣意的な政治的思惑が背景に存在したと見なすことは出来まいか?
その証拠にもはや市中の混乱は、権力を失い形骸化した幕府には手の施し様がなかったのだ。
こうして、今から振り返ってみれば、時代の転換期に「御師」が行った一連の行為ーー札のばら撒き等は、新しき時代の到来を促進した重大な行為であったと考えられるのである。
また新興の武士階級が、これらを巧みに利用したとも考えられる。
こうした自由な人の行き来が、当時の封建的階級制度の管理構造の枠組みを徐々に打ち崩したことは、紛れも無い事実であろう。


                                ◆参考文献「社寺参詣と代参講」世田谷区郷土資料館



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九段下の駅を降り徒歩3分位で、日本一の大鳥居である第一鳥居が目に飛び込んでくる。
高さが25メートルに及ぶ巨大なものだ。鳥居を潜ると右手に慰霊の泉がある。そして前方に大村益次郎の銅像が聳えている。そこを通り抜け、第二鳥居を潜り神門を抜けると目の前に拝殿が建っている。
戦争に尊い命を捧げた英霊を祀る神社としては、この靖国神社が有名である。
しかしこの神社は元々は、明治2年に「戊辰戦争」で亡くなった人々を祀る為に建立されたものであった。その後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、第二次世界大戦で亡くなった人々も祀るようになった。現在、国の為に命を捧げた人々を祀る場として、靖国神社は一般に知られている。
靖国神社は九段の桜としても有名で、約1000本の桜の樹が植えられている。夏に初めてこの地に足を踏み入れた人は、これが東京の中とは俄かに信じられない位の蝉の合唱に耳を疑うことだろう。また「ポッポ」と呼ばれる白鳩に驚かされることだろう。通常の鳩よりも一回り大きな体で、全身が真っ白な鳩である。約600羽の白鳩がいるというが、これは1万羽に1羽しか生まれない貴重な伝書鳩だそうだ。
私は、足元にこれらの鳩がやってくると、一種霊的な存在を意識してしまった。可愛いと思う以上に無気味な何か霊が宿った鳩のような気がしてしまったのだ。

                           ■参考文献:『やすくに大百科』靖国神社編




さて、世田谷区の下馬4-9-4番地には、昭和25年に創建された区で最も新しい寺である「世田谷観音寺」がある。事業家である太田賢照氏が、特攻隊員の霊を鎮魂する為に、私財を投じて建立したものだ。
世田谷区立郷土資料館編集による『世田谷区史跡解説』では不動堂の木造不動明王及び八大童子像九躯はもと奈良内山永久寺にあったもので、文永9年(1272)康円により建立されたもので、国の重要文化財に指定されているとのことだ。
今回、私はここを訪れ写真を撮って帰ったが、PCを通して画像を見て驚いた。
とても神秘的な色彩が画像の中に現れていたからだ。
今日、8月8日は東京は快晴で、紫外線も強かった。
その影響によるものかもしれないが、とても神秘的な光を帯びた写真が出来上がったのだ。



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『夢十夜』其の三


「魔界の足音」


あなたは、私が次のようなことを話しても暑さで気が違ったとか、精神的疲労が重なり分裂したとか考えないで欲しい。
私が言いたいことは、今この世に存在する私は、無数に存在する私のほんの一部にすぎないということである。
私は私であって私でない。
体の中の細胞は、ひとつを取り上げればそれは部分に過ぎず、体の中では重要な役割を果たしている。
同様に今の私は、私という存在の部分にしか過ぎないのであるが、私という存在にとって重要な役割を果たしている。
分かりやすく言えば、実はこの世は私達の目には見えないのだが、多数の次元から成立しているということなのだ。その多数の次元の中で、私の部分が其々に独自に生活をしている。
私という全体像は、その其々の私を集合させなければ、理解できないということなのだ。

時として、現在私が存在する空間の中に歪みが生じることがある。
それは縦軸を形成する時間軸にある変化が生じる時である。
その時、縦軸にゆがみが生じ、時間軸がぶれ、過去も未来もいっしょくたになってしまうのだ。
違う次元の自分と出会うのは、こんな時なのだ。
実は、時間とはこの世を理解しやすくする為に、便宜的に設けられたものに過ぎない。
元々、この世には本来始りも終わりも無いのだ。
人間は、死ぬことなく永遠に生き続ける存在なのだ。
その証拠に今も私の分身は、様様な日常を様様な次元の中で行っているのだ。

前置きが長くなってしまいました。




こんな夢を見た。



「悠久の大義の為だ。」
私は操縦桿を握りながら、何度も同じ台詞を繰返していた。
仲間が次々と撃ち落されている。
敵艦は目の前にある。
私は何度もその上空を旋回していた。
特攻する味方の機は、ことごとく海の藻屑と散ってゆく。
私の機目掛けて高射砲の玉が掠めていく。
決心がつかないのだ。
みんな酒と大麻の影響で、恍惚の状態で死に突進してゆく。
その姿を横目で見ながら、私は決心できずにいた。
操縦桿を握る拳が汗でべたついた。
額から汗が、恐ろしい量の汗が滴った。

「何故?何故?私が・・・」
思えば、私には愛する女性がいた。
私が死ねば、彼女は誰と結婚するのだろう?
まだ彼女とは、肉体関係は無かった。
一体、どんな男が彼女を弄ぶのだ。
私は、きつく歯を噛み締めた。
嫉妬で、体が小刻みに震えた。
私には年老いた両親がいた。
もし私がここで死ねば、どれだけ両親は悲しむことだろう・・・
「お国の為だ。すべては、お国の為だ!」
両親は、きっと「よくやった。」そう誉めてくれるだろう。
しかし、本心はどうだ?
親より先に行く親不孝を悲しまない筈がないじゃないか。
私は無駄死にはしたくなかったのだ。
無駄死にだけは、絶対にしたくなかったのだ。
私が死んだら、弟や妹達はどれほど悲しむことだろう。



故郷に帰った時、すでに特攻の日程が迫っていた私は、妹と一緒に夜空を眺めていた。
その時、流れ星が月を横切ったのだ。
妹が叫んだ。
「今、流れ星が月を横切ったよ、お兄ちゃん。」
私は、妹の頭を撫でながらひとつの輝く星を指差して、
「あれが、お兄ちゃんの星だよ。忘れるなよ。」
幼い妹は意味がわからず、
「どうして?ねえ、どうしてのなぉ?」
私に理由を聞いたのだった。



「死にたくない!死にたくない!」
私は、今この瞬間から抜け出せたらとどれだけ願ったことだろう。
空を飛ぶ、鳥になれたら・・・
この場から逃れて飛んで帰れるのに・・・
その時だった。
右翼を砲弾が襲った。
機体は激しく揺れ、急降下し始めた。
「もう、駄目だ!」
「おかあさーーん!」
私は咄嗟に叫んでいた。
そして、
私は覚悟を決めた!
敵の船目掛けて操縦桿を握った。
「神様!」

砲弾がいくつも傍をすり抜けていった。
目をつぶっていた。
気がついた時、
眼前に敵艦が大きく立ちはだかっていた。
そして敵兵の目が恐怖で大きく見開かれていた。






私は鴎であった。
大海原を自由に羽ばたく鴎であった。
でも、海を見て哀しい気持ちがするのは何故なのかな?
そんなことをいつも考えている鴎であった。

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