----------------------------------------------------------------------------------------



『ひき蛙』---「愛犬チビの想い出」    



        -----------僕がかって愛した兄弟に捧ぐ--------




 


チビが太郎くんの家に来たのは、太郎君が幼稚園の時のことでした。
その日幼稚園から太郎君が帰ると、家には鍵が掛かっていてお母さんは留守でした。
太郎君は団地の一階に住んでいましたので、二階に住むヤッちゃんを誘って外で遊ぶことにしたのです。

ヤッちゃんは太郎君より一つ年下の女の子なのですが、とても活発な女の子でした。
二人はいつもの様に広場でボ-ルを蹴って遊んでいました。

すると太郎君より二歳年上でとても意地悪なカズちゃんが一匹の子犬を連れてやってきました。
生まれてからそれほど日の経つていない小さな茶色の子犬でした。

カズちゃんは、太郎君達からボ−ルを取り上げると子犬にそれをぶつけて遊んでいます。


子犬は
「きゃん、きゃん!!」
と悲しそうに悲鳴を上げます。乱暴者のカズちゃんは嬉しそうです。玩具のように生
きた子犬を弄んでいるのです。

それを見てヤッちゃんは怒ってカズちゃんからボ−ルを取り上げました。
「何するのよ、可哀相でしょう。」
ヤッちゃんの剣幕が凄まじかった為でしょう。
いつもは暴力を奮うカズちゃんは、
「チェっ!」
舌打ちすると子犬を置いて行こうとします。

「この犬どうしたのよ!」
背中にヤッちやんの言葉を受けたカズちゃんは、
「坂の上のはらっぱに箱に入れて捨ててあったんだよ。」
はき捨てるように言うと行ってしまいました。

ヤッちゃんは子犬を両手に抱き上げると、
「かわいいね。」
太郎君を見て笑いました。
太郎君も犬の頭を撫ぜました。
犬は大喜びでヤッちゃんの顔を舐めまくります。
「うわ〜っ、くすぐったい。」
ヤッちやんが奇声を上げます。


太郎君は犬が大好きでした。
ぬいぐるみの犬の人形をいつもベットに入れて寝ていましたし、食事の時もぬいぐるみと一緒でした。
今、現実に生きた子犬を抱いてみますと、子犬の温かい体温が伝わってきて、太郎君は天にも上る気持ちになりました。
子犬は太郎君の瞳を見つめています。
言葉に言いあらわせない位、太郎君は子犬が可愛く思え、強く抱きしめました。
その日、子犬と太郎君とヤッちゃんは、日が暮れるまで遊んでいました。
やがてヤッちゃんが、
「私、もう夕ご飯だから帰るネッ!」
と言うと行ってしまいました。

そして、
太郎君と子犬だけになりました。


太郎君の家にはまだ灯りがついていません。
まだお母さんが帰っていないのです。
太郎君は子犬と薄暗くなった広場で遊んでいました。
暫くして、お母さんが帰ってきました。


「太郎、ゴメンネ。すっかり遅くなっちゃって。
さあ、早く家へ帰って手を洗ってご飯にしましょう。
太郎の好きな本も買ってきたわよ。」


太郎君はお母さんを見つけて喜んで駆け寄りました。
子犬は太郎君の後を走ってついてきました。
それを見たお母さんは、
「太郎。この犬どうしたの?」
太郎君に尋ねました。
太郎君の話を聞いたお母さんは、
「でもネッ、太郎。団地で犬を飼うことは禁じられているの。
可哀想だけど、連れてはいけないのよ。」

太郎君は激しく泣いてお母さんを困らせました。
しかしお母さんも団地で犬を飼うことが禁じられている以上、どうすることも出来ません。
子犬は太郎君の足元で、尾っぽを垂れ、元気なく項垂れています。
きっとお腹を空かせているのでしょう。
その姿を見たお母さんは、
「じゃ、今晩だけ家で面倒見てあげるから、明日になったら捨ててくるのよ。」
お母さんは、そういうと家に連れて帰り、子犬の為に、牛乳とご飯を与えました。

よほどお腹を空かせていたのでしょう。
子犬は夢中でそれらを食べると、玄関で丸くなり寝てしまいました。
疲れていたのでしょう。

そして、安心したのでしょう。
無邪気に「クウククウ」軽く鼾をかいて死んだように寝てしまいました。
お母さんと太郎君は、その姿を見て共に微笑みました。

それは、慈しみに充ちた
幸福の微笑みだったのです。



 

 

翌朝早く、太郎君はお父さんに起こされました。
「さあ、太郎。子犬を捨てに行こう。」
昨日の約束です。
太郎君はしぶしぶお父さんと一緒に、子犬を捨てに行きました。
子犬は散歩にでも行くのかと勘違いしたのでしょう。
尾っぽを「ぶるんぶるん」振って、大喜びです。
それからお父さんと太郎君と子犬は、お父さんの運転する車で30分も走ったでしょうか・・・・
大きな公園に来ていました。

そこでお父さんは子犬に家から持ってきた牛乳とパンを与えました。
子犬は夢中になって牛乳を飲んでいます。
その姿を見て、お父さんはそっと太郎君の肩を叩き、目で「行こう」と合図しました。
子犬はそんなことには気がつかず、牛乳をがむしゃらに飲んでいます。
団地では犬を飼うことは禁じられているのですから、どうしようもありません。
太郎君は、泣く泣くその場を後にしました。

二人は車の中から暫く子犬の様子を見ていました。
子犬は太郎君がいなくなったことに、びっくりした様子でした。
そこら中を気が動転したように走り回って太郎君を捜している様子でした。
「さあ、行くよ。太郎。」
お父さんの声にひきつけた様に太郎君は頷きました。
太郎君は車の中で泣き続けました。
そんな太郎君を慰め、お父さんは幼稚園まで送ってくれました。




‐――――――――――――――――――――――-----------------------------------------------



さて、その日太郎君が幼稚園から帰ってみると、何と子犬が家でお母さんにじゃれついていたのです。
お母さんは太郎君を見ると笑いました。

「このワンちゃん、お母さんがお使いから帰ってみると、玄関の前にちょこんと座っ
ていたのよ。きっと一人でここまで帰ってきたのネ。可愛いでしょう。余りに可哀相
だからお父さんに頼んで家で飼うことにしょうか?」

太郎君は大喜びして、子犬を抱きしめました。子犬は嬉しそうです。太郎君の顔を
「ペロ、ペロン」舐めました。そして尻尾を千切れる位「ブルン、ブル」振っています。

それから太郎君は子犬にチビと名付けました。
兄弟のいない一人っ子の太郎君にとって、チビは兄弟も同然でした。
二人は、いつも一緒でした。
食事の時も一緒。
遊びも一緒。
テレビも一緒。
何と寝るときも同じ部屋

同じ布団でした。




それから月日が経って太郎君は成長し、小学生になりました。
太郎君一家もお父さんの頑張りで郊外の庭付きの家を新築し、チビにも大きな犬小屋が与えられました。
その頃には、チビも大きな体の立派な犬に成長しておりました。
どうやら秋田犬の雑種らしく、お父さんと同じ位の大きさにまで成長していました。
チビはもうチビではありませんでした。
でも相変わらず太郎君に甘え、家族の一員として生活しておりました。
まるで、子供のように・・・・



チビは、太郎君が学校から帰ってくると、ちぎれんばかりに尾っぽを振って、
「どーーん!!」と体ごとぶっかってきて、太郎君の顔をペロペロ舐めるのです。
チビの体当たりに倒れた太郎君は、笑いながらチビを撫でてあげます。
するとチビはすぐ仰向けになり、腹を撫でて欲しいとせがむのです。
太郎君が撫でてあげると、「くう〜んくう〜ん」
チビは嬉しそうに声を発てました。

そんなチビが、太郎君が小学校の高学年の時、
ジステンバーに罹り、突然死んでしまったのです。
太郎君と家族の悲しみは、たいそうひどいものでした。
その後、太郎君は笑うことを忘れたように打ちひしがれてしまいました。
心の中にぽっかりと穴が空いてしまったのです。

 

太郎君はあまり笑わなくなりました。

自分の世界に引きごもりがちになりました。

孤独を友とする子になりました。

 

しかし、

やがて月日が経ち、太郎君も悲しみから立ち直ることができました。
時が悲しみを忘却の彼方に追いやったのです。




 

中学も3年生になった太郎君は、もうすっかり大人の体に成長しておりました。
高校受験に向け、学校から帰ると9時過ぎまで塾に通っておりました。
塾から家までは、自転車で30分ほどかかる距離でした。
その日、太郎君は早く家へ帰ろうと、塾を出ると自転車のペダルを力一杯にこいでおりました。
高校受験まで残り2ヶ月余りの12月の寒い夜でした。
薄暗い夜道を白い息を吐きながら、太郎君は懸命にペダルを踏んでいました。
そして、
坂道を駆け下り右折する時でした。

道が凍っていたのでしょうか?
後輪が突然横滑りして、自転車から投げ出され太郎君は宙を飛んでいました。
運悪く丁度、その時でした。
前方より巨大なヘッドライトの灯りが目に飛び込みました。
大きなトラックが真っ直ぐ向かってきたのです。
もう駄目です!

とても、
間に合わない!
トラックの運転手は大きく目を見開いて、急ブレーキをかけながらクラクションを鳴らしましたが、もうとても間に合いません。
太郎君がトラックの下敷きになるのは、誰の目にもあきらかな距離だったのです。


「ぎぎぎぎ=====っ!!!」


「もう駄目だ!」そう思った瞬間でした。
太郎君の目の前を、
蒼白い閃光が駆け抜けました。
続いて、

「どーーん!!!!」

太郎君の体に激しい衝撃が走りました。
次の瞬間、太郎君の体は宙に投げ出されておりました。
スローモーションのようにゆっくりと宙を舞っていたのです。

 




意識がはっきり戻った時、
目の前にはペッシャンコに潰された自転車が転がっておりました。
急停車したトラックからは、運転手が真っ青になって飛び出してきました。
しかし不思議なことに、太郎君にはかすり傷ひとつなかったのです。
太郎君が無事なのを知った運転手は、全身から力が抜けたように、その場に座り込んでしまいました。

本当に不思議な出来事でした。
トラックに太郎君が激突する、まさにその瞬間に、
何者かが体当たりして、太郎君を救ったのでした。

目の前には、めちゃくちゃに壊れた自転車と、トラックのタイヤで潰された「ひき蛙」の死骸が転がっておりました。
太郎君には、何が自分を救ってくれたのか、はっきりと分かっていました。

「どーーん!!!」

とぶっかってきた瞬間、それが何なのかを悟ったのです。



「ひき蛙」の死骸に太郎君は両手を合わせました。
そして、そっと呟きました。


「チビ、ありがとう。」

運転手は放心したように、空を仰いでおりました。









(完)



----------------------------------------------------------------------------------------




●最初に断っておきたいことは、これは形而上学的作品だということだ。
死後の生の存在に対して、真っ向から対峙した作品なのである。
こんなことを書くと頭がおかしい人間だと思われるかもしれないが、僕はあの世の存在を信じている人間なのだ。信じるに至った経緯には、当然、僕自身死後の霊と出会った経験があるからだ。
よく怪談映画などで、灯りが吸い込まれるように消える場面があるが、実際に死後の霊が訪れた時、蛍光灯は安定性を欠き、点滅を繰り返し、やがて闇の中に消えてしまう。
何らかの電磁波の影響なのかは解らないが、映画等でよく使われる手法は、経験から導き出されたものであることは、疑いが無い。

●それからもうひとつ。この作品は、勿論フィクションである。
しかし、かなりの部分はノンフィクションである。
だから読む者を曳き付けてやまないのだ。
僕達は、目に見ることは出来ないのだが、大勢の霊に見守られている。
信じられないかもしれないが、それは確かなことなのだ。
当然、その霊たちは、自らと何らかの関連がある存在だ。
通常は、亡くなった肉親、先祖の霊、友人、愛玩した動物の霊というものが多いようだ。
僕は、ここで愛犬の霊が、危機一髪の場面で主人公を救うという構成にしている。

●なぜ、この作品を今再びリニューアルしたか?
それは、現在の僕の心境を、この作品が反映しているのだ。
要するに、人間の体は、乗り物と同じだ。
古くなり、使えなくなるほどボロになれば、人間はその乗り物を棄てなくてはならない。
しかし、その乗り物を棄てたからといって、人間は終わったわけではない。
蝶が蛹から脱皮するように、人間本来の姿に戻るに過ぎないのだ。
何者にも拘束されない自由な世界で、もう一度人生をやり直すか、愛する人を守り続けるか・・・
それは、本人の自由だ。

はっきりと断言できることは、
我々は愛に見守られているのだ。
かけがえの無い深い愛に包まれているのだ。
そのことを、もう一度、考えてみたかったのだ。
あなたに、このことを、考えてもらいたかったのだ。






inserted by FC2 system