最近、不思議なことが起こります。夜中の2時過ぎになると、見知らぬ訪問者がやってくるのです。そして、
彼、または彼女は、お菓子箱の中から、お菓子を出して食べ出すのです。
どうやらおせんべえが好きらしいのです。いつもおせんべえを食べております。姿形は見えないのですが、
彼、または彼女がそこにいることは明白な事実ですボリボリ、おせんべえを頬張る音が、部屋中に響き渡ります。僕は、てっきり女房が暗闇の中で、食べているものと勘違いしまして
「何してるんだ?明かりをつけて食べろよ!」そう怒鳴りました。
どうやら、その見知らぬ訪問者は驚いた様子でした。
僕には、相手の体波が伝わってきたのです。緊張感が空気を通して、伝わったのです。実は、こんな状態がここ数日、続いているのです。必ず夜の2時過ぎに奴は現れるのです。目的はお菓子なのです。

「何で黙ってるんだ!返事くらいしないか!」しかし、この相手は女房では無かったのです。なぜなら、僕の怒鳴り声に驚いて、隣室から女房が起き出してきたからです。
不思議そうに・・・・
「一体、どうしたの?こんな夜中に大声だして?」
僕は瞬間的に「早く明かりをつけてみろ!ここに誰かいるんだ!」そのように女房に命じていました。

驚いて女房は明かりをつけました。
しかし、そこには誰もいませんでした。
女房は、「寝ぼけて夢でも見たんじゃないの?」
と笑いました。

その時は、僕も疲れが出たのかな?
その程度に考えて寝てしまいました。
しかし、それは夢ではなかったのです。
一昨日は、ネズミの足音がしたのです。ネズミなどいる筈がないのに・・・昨日、僕は懐中電灯を枕の横に置いて寝ました。
奴が現れたら、それで照らして正体を確かめてやろうと考えたのでした。
しかし、昼間の疲れと数日の睡眠不足がたたり、昨夜は熟睡してしまいました。



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しかし、怖い夢を見たのです。
それは、本当に怖い夢でした。その上、匂いがしたのです。それは、こんな夢だったのです・・・・

僕は地下鉄のホームに立っておりました。
人々が遠巻きに輪をなして、何かを見ております。
好奇心旺盛の僕は、興味本位でその輪の中へ入っていきました。

最初、何だかは分らなかったのです。
駅の係員と警察の人間が、何かをバケツの中へ集めておりました。
水を流しながら、ホウキではいている人間もおります。
辺りに異様な臭気と、不可思議なムードがたたずんでいました。

事故で人が死んだ時に、そこに漂う特有の空気とも呼ぶべきものです。
僕は、嫌な感じがしました。
案の定、係員が集めていたものは、細かく刻まれた肉片だったのです。
何故?こんな夢を見たのでしょうか?

bokuniha wakarunodesu


その存在が、自らの存在を証明したのです。夢と現実の狭間・・・・

その狭間には、目に見えない世界が何処までも広がっているのです。

我々の世界は、たくさんの・・いや、何次元もの世界と交錯しているのです。
この空間は、決して特別な空間ではないのです。
我々に見えない・・・
でも感じることは出来るのです。
時として、その空間からの訪問者があるものです。私は宗教家ではありません。
そして、宗教にさほどの興味もありません。

しかし、あの世が存在することは、事実なのです。理論や屁理屈ではなく、


我々の同空間には、霊の世界が隣接・・・いや、折り重なるようにして存在しているのです。


この話を狂人の戯言だと考えていただいて構いません。
実は、書いている本人にさえ、自分は果たして正気なのだろうか?
そういう疑念があるからなのです・・・


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●断片●



都市はますます高層建築で覆い尽くされていく。
まるで、都市を浸食して行くように
その勢いは止まらない。

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●こんな経験はないだろうか?
暫くぶりに訪れた場所が、そこに住んでいた当時とは全く変ってしまい、自分がどこにいるのか分らない。
住所は、間違いなくここに違いないのだが、あの場所がここであるという確信がもてない。

先日、俺は東中野で降りて、学生時代に住んでいた下宿を探してみた。
環状6号線に面したその建物は、既に無くなっており、その場所には会社が建っていた。
しかし、そこは神社の隣だった為に、場所を確認することに苦労はしなかった。
俺が住んでいたのは2階であり、窓を開けると神社の境内が眺められた。
そして、大きな杉の木が覆い被さってきた。
「駅からこんなに遠かっただろうか?」
探している間中、俺がそんな気分に駆られたのは事実だ。
その理由として、当時無かった建物が増えたことが挙げられる。

WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS・・・・・・

俺のギターが優しくすすり泣いている間に、街は急速に変貌を遂げていたのだ。
若い頃、抱いていた俺の夢も希望も、そして、思い出さえも呑み込んで・・・



●街には、人の温もりを感じさせるものが必要だ。
特に現代のように変化が激しい時代には、機能美だけを優先した建造物に、人間は愛着を感じる事はない。
外見だけを遠目に見れば、如何にも現代都市の象徴で美しく見える高層ビルなのだが、一歩その中に足を踏み入れると、ビルの中やそのエレベーターの中には、得体の知れない緊張感が渦巻いていることが分る。どうだろう?あなたもそんな不安を感じたことは無いだろうか?この不安や緊張感は、密閉された空間に対する人間の本能的怖れとも呼ぶことが出来るだろう。逃げ場の無い不安、人間不在の不安、要するに如何にも人工的な空間(怪物)に包含されていることに対する不安・・・

●実は古い建物ではない。
ごく最近、桜新町に出来たレトロ風の外観をしたお好み焼き屋なのである。
この建物を初めて目にした人間は、50年代の店がそのままの保存状態で、現代まで残っているものと、勘違いするかもしれない。実は、都会の真ん中に出現したこの店は、意識的に50年代の店構えを演出しているものなのだ。
時代の逆説を往く。この現代感覚は見事だ。我々は、この建物を見て、思わず目を引き込まれてしまうだろう。懐かしい・・・
その感覚は、実は我々40代、50代以上の年代の方々には、共通する想いだと思う。記憶の奥深くに刻まれた少年時代の記憶。
その大事な記憶を蘇らせる演出。
その空間に包まれた時、我々が感じるものは、それは近代建築では決して味わえない個人史への還流する想いでの数々なのではないだろうか・・・

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●ある作家の作品に触れた時、この作家の想像力は、どのような源泉から涌き出るのであろうか?
我々の想像を絶する深遠からの示唆は、作品というよりむしろ啓示に近いものがある。
このようなイメージは、どうのようにして生まれたものなのだろうか?
彼は宇宙の神秘を解明したのであろうか?
あるいは、宇宙の奥底に隠された生命の不思議に触れたのであろうか・・・

そんなことを考えた事はないだろうか?
宮澤賢治の作品は、僕にいつもそんな感覚を味合わせてくれるのだ。
彼の作品の中にも、ある謎が隠されている。
しかし、それは闇の中に埋もれ、我々の目に触れる事はない。
謎とは、いつもそんなものなのだ。
それが見えている人間にとっては、何の不思議もない極日常的な光景に過ぎない。
だが、それを見ることが出来ない人間にとっては、どこまでも深く暗い神秘の謎なのだ。
テレビ画像の画面同様に我々が見ているものとは、錯綜した色の集合を形象として認識しているに過ぎないことを暗示しているのだ。






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