☆ニーチェの宇宙と現代の病☆☆




「神々は存在する。しかし唯一の神というものは存在しない。このことこそ、まさしく神性ではないか。」
                                                    ニーチェ

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「砂漠は育つ。悲しいかな砂漠を内に蔵する者は。」
                             ニーチェ


時の流れに逆行し、時の深淵を前にして立ち竦んだ孤独なこの俺に、巨大な白蛇よ、
瞑想の洞窟に秘蔵した智慧の秘密を委譲せよ。
誇り高く天を舞い上がる鷲よ、この偽りの繁栄、平和、幸福、権威、真理の実体を嘲笑し、雷鳴の響き渡る天空を飛翔し旋廻する誇りと勇気を俺にくれ。
そして厳冬の中、麦藁帽子を被り、灰色の外套を身に纏い、杖を片手に橋の手摺に腰掛け、膝を立てた右手で顎を支え、壊れたズボンのチャックの隙間より萎びた性器を覗かせた老人よ、狂気の深淵を彷徨いなが垣間見た神秘の智慧の坩堝を、俺に与えよ。

巨大な精神的躓きに直面し、自己の内部世界へ退行し、個の極限において個を超克しようとした男がいた。
自らの純粋で真っ赤な血液を文字に変えた男がいた。
男は同時代人の理解も同情も得ることなく逝ってしまった。
しかし彼の芸術作品は、時代を超越し、今も歴史の中のみならず生き続けている。
肉体が消失した後も彼の思想は永遠の生を受け、歴史を越えて生き続けている。
まさに彼こそがどんな時代にあっても常に新鮮且つ重要な問題を人々に呈示することの出来る、真の芸術家であり、完成された人格なのだ。

アフォリズムによる語り口は、屈折した光のイメージが螺旋となって優しく愛撫するように、幾重にも人々を包み込み、そして最終的に彼の思想は人々を雁字搦めにしてしまう魔性を秘めている。
この偉大な人こそ、フリードリヒ・ニーチェ(1844?1900)その人である。

牧師の子として生まれ、女性の間で育ち、その上子供の頃から躾がよく「小さな牧師」と渾名されていた彼がキリストを否定した言葉は、

「神は死んだ。」

という有名な言葉だが、この言葉の背後には真の神という存在の根源を、既成の神の観念(キリスト教)を打ち壊すことにより、見つめ直すことにあったことは余り知られていない。

これから、彼の根本的な概念を検討してみよう。

●1、ニーチエはソクラテスから始る知性偏重主義こそが、ヨ-ロッパ2000年の歴史を築き、それにより発達した科学が将来世界破滅を導くことを憂い、「徳は知である」という命題に呪縛された人々を解放する必要があると考えた。

彼の論理は、ソクラテスはプラトンという高級詐欺師が作り上げた作品---虚像であるとし、知性偏重主義に陥っていた同時代人の知的基盤である立脚点を破壊する。

●2、次ぎに彼は、存在の根源の探求の為に、キリスト教を否定する必要性を実感した。
これは、十字架の上で死んだ単なる人間にすぎないキリストを、パウロがまさにプラトン的演出によって、選民意識(弱者の怨念)を内包した弱者の象徴的神=作品として作り上げた者に過ぎないと考えた。
この本質は世俗化されたプラトン主義にすぎず、そこからキリスト教的奴隷道徳が生まれてくることを明瞭にし、人々の心的基盤をも破壊したのだ。

このアンチキリストの視点の基盤となるものは、第一にキリスト教が<此岸>から<彼岸>に人間の生の重心を移行させてしまい、この信仰が現在の生を無意味化し、生を充実させる人々の努力の否定となること。

第二に神の前での平等という考え方は、人間が本来有する<偉大者>と<大衆>の間の<距離のパトス>(位階)の否定につながるという人間の特権の無視にあった。

この二つの現象の否定の目的は、人間を規定していた価値観から人間を解放することで、自らが無規定性の闇の中で人生を真摯に考え、己の可能な力、充実した生命力を蘇らすという<ディオニュソス的意識>=<生の根源に潜む懊悩する意志>を喚起することにあった。

これらは当時の虚飾の繁栄に酔いつぶれる人々に対する激しいアンチテーゼであったのだ。

単純化してみよう。
まず<プラトン>と<ソクラテス>の関係=<パウロ>と<キリスト>の関係。
つまり<製作者>と<作品>という図式が成立する。
次にこのふたつの関係を否定することで、最高の価値が価値を失するという価値の転換が生じる。
ここに、至高の価値がその価値を剥奪され、一般人の地平まで転落することから権威の失墜に伴い<ニヒリズム>が生じる訳だ。
この<ニヒリズム>は2側面をもつ。
精神の上昇・成長としての<能動的ニヒリズム>と疲労衰弱した<受動的ニヒリズム>である。
前者は、絶対的価値の否定を乗り越え、新たな価値を創出する為に、積極的に人生に働きかけるものであり、ニーチェが求めたものである。
後者は、キリスト教や仏教のように既存の価値に呪縛されたものと考えられた。
また、ニーチェは人々は目標も意味も見出せない日常に埋没し、無への終局も持たない、ただ不可避的に回帰する虚無の車輪の中に囚われた存在であると考えた。
ここに存在が無規定の闇の中で無意味に繰返される日常に蹂躙される<ニヒリズム>の極限的形式<永遠回帰>が生まれるのだ。
すなわち無(無意味なもの)が円環の中で永遠に悪魔的循環を繰返す。

この循環を断絶する為に彼は、実存的な自己超越性の具象化として<超人>の概念を生み出すのだ。
ここで彼は、人間は神の前で平等であるというキリスト教的道徳観にとどまるのではなく、より高次の自己と単独者の倫理を創造していくことが必要であると考える。
そして<超人>と呼ばれる新しい人間の理想像に近づくことこそが、神なき世界を生きる人間の本質的姿であると見なしたのだ。
彼は、この<超人>に近づく為には、人間はキリスト教の<隣人愛>に対立する概念として彼により生み出された概念である<遠人愛>に立脚する必要があると説いた。
隣人に向ける愛よりもまだ誕生しない遠人に向けた愛の方が、遥かに偉大だという彼の考えは、未来に愛の視座を投げかけて現代を照射する、より深い人類に対する愛と呼べるだろう。
人々は<遠人愛>に立脚し自己超克へ向けての日々飽くことなき闘いにより、いつか<超人>を生む。
例え本人が<超人>にはなれずとも<超人>の親となることは、可能かもしれない。
この考えの根底に横たわる思想は、人類に対する深い慈悲と愛。そして現実を客観的に見据える鋭い視点が中枢を成す。
ニーチェは天才特有の鋭い直感力で、当時の時代の病理を見抜いていた。
だからこそ彼の真摯に生と向かい合う姿勢は、彼を時代から隔離せざるを得なかった。
まず彼は拝火教の教祖、ゾロアスターを地の底から呼び覚まし蘇らせ、同時代人から超然とした地点に立脚した。そして絶対的な孤独の中で遠く幻視の世界を漂泊しながらも「時代という怪物」と闘かい、ゾロアスターに語らせることで自らの思想を表現した。
しかし彼は、長い間孤独の深淵を覗き込んでいるうちに、反対にその深淵に魅入られてしまった。
彼の精神は、こなごなに破壊されたのだ。
こうしてみれば、彼こそがまさに噴火獣ーーー(破壊者)であったことは間違いないだろう。


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現代は凶悪犯罪が毎日のように繰返され、自殺者数も記録的な数を占める病んだ時代である。
ニーチエの思想が今ほど我々に迫ってくる時代は、かって無かったのではないか・・
犯罪心理の根底に良心の呵責の不在を見出すことは、容易いだろう。
一体、真理はどこにあるのか?
神の不在は、人間の良心を略奪したのだ。
我々は、自らの指標を一刻も早く見出さねばならないのだ。

深い地の底から垂直軸にそって湧き起こる声が、虚空に木霊する。

「おお、ツァラトゥストラよ。知恵の石、石弓の石、星の破壊者よ。
おまえ自身をおまえはこれ程高く投げ上げたーーーしかし投げ上げられた石は全てーーー落ちざるを得ないのだ。」


                                                  ■参考文献:「ニーチェ全集」新潮社


現代社会の闇を切り開く方途はありや?







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『不思議なおじさん』



僕の知ってる不思議なおじさんの話をしてみます。
おじさんは、お城の様な立派な邸宅に住んでいました。
高級なスーツを身に纏い、いつもサングラスをかけ、頭は髪の毛が天に向って聳えるように立っていました。
おじさんは、滅多に口を開くことはありませんでした。
ただ悲しそうに空をひとりで見上げているのです。


ある日、僕はおじさんに訊ねてみました。
「なぜ、おじさんはいつも悲しそうな顔をしているの?」
最初、おじさんは悲しげに笑っているだけでした。
そして手に持った風船を空に解き放つのでした。
風船は、ちりちりに空に上って行きました。
「どうして風船を空に放すの?」
おじさんは、黙って風船の行方に目を凝らしておりました。
その瞳はとても愛情に満ち溢れて見えました。


そして、僕にこう言いました。
「おじさんはね・・・昔・・・風船だったんだよ。」
「・・・・・・・」
訳がわからずぽか??んと口を開けたままの僕に向って、
「君も同じように風船だったんだよ。」
と笑いました。
「ふ・う・せ・ん?」
訊ね返す僕におじさんは、物語を始めたのです。

おじさんの話によれば、人間はみんな風船なのだと言う事でした。
人間は死ぬと魂が肉体を離れ、風船が空に舞い上がるように天に向って上昇していくというのです。
どこまでもどこまでも上昇し、やがて宇宙の中に放り出されます。
宇宙には、そうした人間の魂がたくさん浮遊しているらしいのです。
何日も何年もそうして宇宙を漂っているのだそうです。
孤独で宇宙空間を浮遊しながら、その時に様々なことを考えるんだそうです。
地上で過ごした時間のこと。
地上で経験したこと全てを、もう一度最初から振り返るんだそうです。
自分の地上での生活が、満足のいくものであったか、否か?
正しいものであったか、否か?

何度も何度も考えるそうです。
そして、その時は、誰しも後悔の念に支配されるんだそうです。
あの時、ああしておけばよかった・・・・と。

やがて巨大な力に引寄せられます。
それは、熱く燃え上がる天体の力なのだそうです。
そこから逃れることは出来ないそうです。
想像を絶する力なのだそうです。
一息に、その燃え上がる天体に飲み込まれた魂は最早逃げ出すことが出来ません。、燃え尽き無の状態になり、そこで再生を施されるそうです。

そして再び吐き出されるのです。
吐き出された魂は、散り散りになってしまいます。
ある魂は月に辿り着き、そこで生活しなければなりません。
ある魂は、金星に・・・・・
ある魂は、火星に・・・・
ある魂は、木星に・・・・・
そして選ばれたる魂のみが、再び地球に帰ってくるんだそうです。
その魂は、再び地球のものに寄生するということです。
鉱物、魚類、植物、動物、人間・・・・・
自らが望む対象に、自らの意志で住み分けるのだそうです。


何故、地上に帰って来るのか?
それは、前世で遣り残した後悔の念を、今生で清算する為だと言うのです。


おじさんは、魔法を使うことが出来ました。
手の平から、僕が喜ぶお菓子やおもちゃを続々と出すことが出来たのです。
びっくりして見ている僕に、おじさんはこう言いました。
「全ての存在は周波数に過ぎない。我々があると思うものはそこには本来ないのだよ。
しかし我々が不可知と考えていることが、実際には存在している。
ただ、それが我々には分らないだけなんだよ。目に見えないという理由でね。」

おじさんは、そう言って笑いました。


そうしてまた色とりどりの風船を天に向けて放したのでした。
風船は宇宙の中に吸い込まれていくように・・・・
どんどん上昇していきました。

おじさんは、こうして何度も生まれ変わりを経験しているのかな・・・



僕にはそんな風に思えたのです。
その時、
一陣の風が僕達の会話を遮りました。






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